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『OU』×『Dreams of Another』バンドル発売記念。幸田御魚氏・Baiyon氏が語る、それでも人を「信じたい」僕らの物語(前編)

  • 28 分前
  • 読了時間: 26分

この春、2つの物語が線で結ばれました。不思議な世界ウクロニアを旅するアドベンチャーゲーム『OU(オーユー)』と、銃を撃つことで世界を創造するアドベンチャーゲーム『Dreams of Another』。ひょんなことから縁が繋がり、Steamで両作品のバンドルが発売されています。そこで今回はバンドルの発売を記念して、『OU』のディレクター・幸田御魚さんと『Dreams of Another』のディレクター・Baiyonさんの対談を開催しました。つくること、語ることに対するひそかで熱い思いにじっくり耳を澄ませてみましょう。


「Dreams of Another x OU」バンドルはこちら!



※本対談は『OU』『Dreams of Another』のネタバレを含みます。



(左:Baiyonさん、右:幸田御魚さん)
(左:Baiyonさん、右:幸田御魚さん)


――本日はよろしくお願いいたします。お2人の自己紹介と作品のご紹介をお願いいたします。


Baiyonさん:

マルチメディアアーティストのBaiyonです。10代から音楽やアートを中心に活動し、ビジュアル作品やライブ、DJ、レーベル運営、ファッションなど、やりたいこと・やれることはとにかく試すスタンスで続けてきました。2008年にはQ-Gamesとコラボレーションで初のゲーム作品『PixelJunk Eden』を制作し、その後さまざまなゲーム作品に参加。約10年前に正式にクリエイティブディレクターとしてQ-Gamesに入社し、最新作『Dreams of Another』では企画ディレクション、アート、サウンド、シナリオ、セリフなど幅広く手がけています。


『Dreams of Another』は「破壊なくして創造はない」というテーマのもと、2025年10月にリリースした、夢の世界を彷徨うゲームです。もやもやした抽象化した夢の世界の中で、銃で撃つことで世界を具体化し、創造することができる作品です。普通は銃で撃ったらものは壊れますが、『Dreams of Another』では撃ったら創られるというのが基本的なコンセプトです。その中でプレイヤーは、さまざまな人々と出会い、ドアや自販機などのモノの内なる思いを聞いていくことになります。銃で撃つとモノが作られるという一種の逆転現象が内在することによって、人間の不完全さとか、自己矛盾みたいなものを表現できるのではないかと思っていました。


僕は勝手に『OU』と共鳴している気持ちでいるんですね。パーソナルな記憶や感情を商業作品に載せる危うさとか、ギリギリの部分を攻めた感覚でした。その部分は、他の方が作った作品をプレイするときに、自分にとって居心地が良く感じられるかどうかの要素の一つでもあります。御魚さんの作品も、作るのに覚悟がいるんだろうなっていうのは『セパスチャンネル』(※1)から感じていて、すごく好きだったんです。今回こういう機会をいただいたので、いろいろお話させてもらえたらと思ってます。よろしくお願いします。


(※1)『セパスチャンネル』

G-MODEアーカイブスから2021年にNintendo Switch / Steam向けに発売されたRPG。見知らぬ部屋で目覚めた「ボーイ」が記憶を取り戻すために冒険する物語。幸田御魚さんが開発に携わった。


幸田御魚さん:

幸田御魚です。もともとデザイン関係の勉強をしていて、社会人としては最初に広告代理店でデザインをやっていたんですよ。ただもう少しエンターテイメントをやりたいなと思って、ゲーム業界に入りました。グラフィッカーを経てG-MODEさんのタイトルで企画を担当するようになり、携帯ゲームなどを30本くらい作っています。携帯ゲームが縮小してからはソーシャルゲームのシナリオなどを細々と手がけて、現在はフリーです。


『OU』は2023年8月に発売したアドベンチャーゲームです。「ウクロニア」という世界で目覚めた主人公のOUが、尻尾に火を灯したオポッサムのサリーに導かれて旅をするゲームです。児童書の挿絵のような柔らかなペンで描かれた世界と、どこか郷愁感のあるギターをはじめとした楽器の演奏による音楽が特徴です。


ちなみに尻尾に火が点いたオポッサムって元ネタがあって、メキシコの神話で炎の神様から火を盗んで、自分の尻尾につけて人間に与えたという話があるんです。


Baiyonさん:

メキシコがお好きなんですか。


幸田御魚さん:

そうですね。メキシコ出身の友人がいて、その人からいろんなお話を聞きながら企画やシナリオ作成を進めました。



Baiyonさん:

御魚さんは『Dreams of Another』を遊んでくださったと聞いています。率直にどうでしたか。すごく気になります。


幸田御魚さん:

率直に本当に面白かったです。


Baiyonさん:

ああよかった、嬉しい。


幸田御魚さん:

いわゆるガンシューティングは嫌いではないので違和感なく入り込めましたね。しかもああいった視点のお話なので、とても新しく感じました。



Baiyonさん:

エンディングまでご覧になりましたか。


幸田御魚さん:

はい、エンディングまでやりました。


Baiyonさん:

嬉しいです。本格的にゲームのシナリオや台詞を書くのは初めてだったんです。大変でしたね。英語も翻訳してもらった内容を自分でちまちまずっと直したりしていました。日本で伝わる内容も英語では伝わらないな、と感じながら両言語でどうしたら伝わるか工夫しました。御魚さんに楽しんでもらえたなら嬉しいです。モノと話したりしましたか。


幸田御魚さん:

モノとできるだけ話しました。


Baiyonさん:

嬉しい。ゲームを遊んでいると、細かいところはつい見逃しちゃうんですよね。


僕は昨日、ちょうど2回目の『OU』プレイを終えたところです。やり直すときも、なぜかこのゲームはセーブデータを消すのがはばかられて、結局別のアカウントで2回目のプレイをしました。プレイした人なら分かると思うのですが、自分のゲーム機の中に『OU』のセーブデータが2つあるだけで、なんだか特別な感じがしませんか?(笑)自分の2つの体験が、少し繋がっているような気がして、居心地がいいんです。


僕は自分のゲームを作るときに、「人によっては笑えて、人によっては泣ける」――笑いと泣きが同時に立ち上がるような体験を作りたいと思っていました。白黒ではなく、常にグレーの中を彷徨っているような感覚です。僕自身も、二項対立ではなく、その間に存在する心地よい心の置き場のようなものをずっと探し続けています。そして、そうした言葉にできない曖昧で繊細なものが好きな人たちは、僕と同じで決して精神的に強いタイプではないかもしれません。だから、自分を含む「そういう人たちの心の隠れ家を作りたい」という気持ちがありました。ゲームをプレイしてほしいというよりも、遊んだあと現実に戻るときに、心のドアが少し開いて、日常の中で見落としてしまいがちな小さな美しさやちょっと不思議なものに気づきやすくなる状態を作りたかったんです。


御魚さんの台詞回しにも、僕が大事にしている感覚を感じていました。『OU』を遊んでいると、ほんの些細な言葉や場面――あるセリフやふとした風景――が点のように現れます。それを結ぶ線がもし自分とは別の意思を持ったら、何と何が結びつくだろう、と考えながら遊んでいました。その自由な線の動きを想像して、僕はシンパシーを感じていたんです。




幸田御魚さん:

嬉しいです。


――幸田御魚さんは『Dreams of Another』を遊ばれてどうでしたか。


幸田御魚さん:

やっぱり、台詞ですね。無機質なものの台詞が印象深いです。動けないもの、ドアとか木とか、認識の二面性みたいなところが非常に面白いなって思いました。『OU』の付箋も近い部分があると思います。そういうところでBaiyonさんがおっしゃったようにシンパシーを感じますね。舞台も夢の世界ということで、『OU』も視認できない世界という意味では近いと思っています。そのなかでプレイヤーが何をするかという点では、やはりゲームのスタイルやテーマとしては近しいかなと思います。


Baiyonさん:

ぜひ両方のゲームを遊んだ人の感想を聞いてみたいですね。



自由の反対は「不自由」じゃない


――お互いの作品について、それぞれの気になった台詞やテキストをピックアップしてお聞きしていければと思います。まずはBaiyonさん、『OU』で気になったシーンをお聞きしてもいいですか。


Baiyonさん:

たくさん用意してきたので、お見せしながら話しますね。



「見晴らしがいい場所は好きだな。

まるで本の目次みたいじゃないか。」


Baiyonさん:

これは序盤の台詞ですが、「ああなるほど」とシンプルなステートメントとして受け取りました。『OU』はこういう捉え方で進んでいくし、こういう捉え方を伝えようとしているんだな、ということがかなり端的に詰まっていると思いましたね。


幸田御魚さん:

世界観のネタばらしをしているような感じですね。


Baiyonさん:

しかも爽快感がちょっとあるんですよ。そこがいいなって思っていて。確かに本を読むときに目次を見てそのような感覚になったことあるなと。このゲーム画面の街はセピア調の色で描かれていますが、目次って言われたら、町の草木が生き生きとした鮮やかな緑色な気がしたりしたんですよね。そういうことを思わせたりするのがすごくいいなと思いました。端的にこのゲームを表している気がする。



【ガラス玉】

漁で使うガラスの浮き球。

閉じ込められているのは

どこの空気なんだろうか。


Baiyonさん

このセリフを見て思い出したんですけど、おじいちゃんの家に同じようなガラス玉が飾ってあったんですよ。玄関に釣り下がってて。そのおじいちゃんの息子、つまり僕の父親の弟が旅行で拾ってきたものを飾っている、と言っていたことを思い出しました。「意外とおじいちゃんはロマンチックなこと、やってたんだな」と思って。ガラス玉って、内向性がある人は内側に何かを見ると思うんです。それを形容するのに、シンプルにこういう風に言っているのがいいなって思って。中の空気には触れることが出来ないから、それもまたいいですよね。



【崖崩れ】

意味のない土砂や瓦礫。

そこに宝物を見つける人もいるだろう。

そういうものが集まって世界ができる。


Baiyonさん:

この辺は『Dreams of Another』も近いなと思うんです。御魚さんもゲーム内で彷徨う軍人に、いろいろなところで拾えるガラクタを渡したと思うんですが、他人にはどうでもよくても自分にとって大切なものはあるものですよね。そもそも「意味がないことに意味がないって、誰が決めたのか」みたいな思いがあって。OUのこのテキストは「このゲームの世界の中にある作られたものは、別に特別なものじゃない」という風にも受け取れるので、それもお客さんの目線に対する寄り添いを感じられて、優しい文章だと思いました。



「小屋の中に鳥がいるな。

彼らは不自由なのだろうか。

それとも家があることで自由を得ているのか。」


Baiyonさん:

Dreams of Anotherでも彷徨う軍人がしてくる問いの一つに、「自由とは何か」っていうのがあるんです。一般的には自由の対義語って不自由じゃないですか。それが許せないんですよ。どうしても許せないんです。不自由を知らないと自由を知れないなんて、そんなことがあってたまるかって心の何かが反抗するんですよ。だからそのことについてよく考えているのですが、ある時に自由の対義語って「無知」なのかなと思ったんですよね。「私たちがいるこの世界がどうできているのか?」を捉えることができないっていうことは、一種の不自由とも捉えられると思ったんです。


幸田御魚さん:

『Dreams of Another』でも「自由」をテーマにした魚たちのエピソードがありますよね。




Baiyonさん:

そうですね。あれもやっぱり自由にこだわっている話。水族館の魚の話はシンプルなきっかけで思いついたんです。水族館に行ったときにマグロを見て「こいつら、自分が美味しいって知ってるのかな?」「それを知ったら泳ぎ方って変わるのかな?」と思ったんです。そこから「知ってるって何だろう」ということをグルグルと考え始めて。結果的に魚のエピソードはオーソドックスなストーリーになりつつ、『Dreams of Another』らしい馬鹿馬鹿しさで包みました。ところで幸田さんは自由って言葉について、どうですか。


幸田御魚さん:

自由という言葉にこだわってはいないですけど。自由に生きてるつもりではありますね。気持ち的には、ですよ。


Baiyonさん:

そうですよね。多分そういうものなんじゃないですか、主観なのでね。僕なんかもう小さいときからずっと不自由な感覚なんですよ。どこにいてもずっとアウェーみたいな感じがあって、たぶんこのままずっと変わらない気がしてきているんです。自分でもどことどう繋がれば着地点を見つけられるのかが分からないんですね。でもその状態って、残酷だけど創作をするうえにおいては、すごく良いじゃないですか。結局、進むしか繋がる方法がないですから。自分でもそういう環境に身を置こうとしているところもあるのかもしれません。


幸田御魚さん:

もちろん、生活するとか物理的なレベルになってくると、ある程度の不自由さってありますよね。あくまで気持ちとして、精神的に自由でいきたい・やりたいという思いをもっている部分が、自由だと感じている理由じゃないでしょうか。そうしないとつらいっていう部分はありますよね。


Baiyonさん:

さっき言ったように自由の対義語が無知だとして、世界がどうできているのかを知ることは、一歩引いて考えるプロセスだと思うんです。そのために必要なのは、世界を抽象的に捉える力です。それは『OU』でも僕の作品でも大事にしている考え方だと思います。『Dreams of Another』でいうとモノが話すのですが、人間ではないからこそ、一度距離を置いて言葉を抽象化して受け止める必要があります。話しているのが人間であれば直に響きすぎる言葉も、木やモノが話すと思うと、すっと受け止められる。その抽象性こそが、とても大事だと思うんです。


ただ、その抽象化の力も、誰にとっても生きるために必死になっている状態では弱まることがあります。たとえば「明日食べるものがない」といった状況では、世界を遠くから捉える余裕がなくなってしまいます。では、そんな状況でも、私たちは少しでも世界を抽象的に捉えることができるのでしょうか? 仮にできたとしてそれは、強さなのか弱さなのか、簡単には言えないことだと思います。悪い意味ではなくて、僕が大好きなものの表現って視点を引いて捉えると、誰にとっても、一種の“労働者の嘆き”のような構造がふと見えてくる瞬間があるんですよね。


そう思うと、すべてのものがブワーッと解体して見えたような感覚がありました。そこから抜け出せない構造が見えてしまうこともあります。自由という言葉を使う時点で、すでに何かに捕らわれているのかもしれない、とも感じます。そして生存モードと向き合った経験がある人に感じられる視点のようなものもあるのかな、と考えました。こういう瞬間は、誰にとっても訪れるかもしれない、と感じます。



幸田御魚さん:

自由ってそういう意味かもしれないですね。


Baiyonさん:

今、御魚さんの生存モードはちょっと下がっていますか。


幸田御魚さん:

いや逆です。それをごまかすために言ってるかもしれない。


Baiyonさん:

これってクリエイター的に言うとなかなか難しい問題で、生存モードのセンサーが低すぎるとやっぱり破綻してしまうんです。完全にそれを捨てることもできないけど、やるぞってときはちょっと捨てざるを得ないですよね。やっぱりそこはきつい。あえて自ら厳しい状態にもっていってしまってるんですよね。言葉で言うと簡単なんですよ。自分と向き合うのって大変だよね、とか嫌な思い出がどう、とか、簡単に言えるじゃないですか。


幸田御魚さん:

創作と向き合うモードに入るのに、やっぱり 1か月かかったりしますね。本を読み漁ったりして。



「摩擦熱」を起こしたい



【でぐち】

狭い空間の中で完結する出来事もある。

出口とはそれらを破壊する企みで

いつも甘い香りを漂わせる。


Baiyonさん:

この台詞がめちゃくちゃ気になったんですよ。「これどういう意味なのかな」と、自分の解釈が合っているのか分からなくて。答えは1つではないという前提ですけどね。


幸田御魚さん:

狭い空間の中で完結する出来事というのは、要するにプライベートな出来事ですね。たとえば恋愛とかは、自分の脳のなかで補完して完結しちゃっているじゃないですか。実はそういった事象って出口を通ってしまうと、幻影だったりまやかしだったりすることに気づいてしまう場合もあると思ったんです。よく「現実を見ろ」っていうけど「必ずしも現実を見ることだけがいいことじゃないんだよ」みたいな、そういう意味です。


Baiyonさん:

ただ、これって甘い香りが漂ってるわけですよね。つまりそっちに行ってしまう因果律みたいなものは存在するっていうことですか。


幸田御魚さん:

「必然」ということですね。いつかは「そうしなければいけない」という必然を甘い香りで表現しています。


Baiyonさん:

一種、内的なものの終わりの始まりみたいな話ですよね。「甘い香り」というのがなかなか良い表現だな、と思って。僕らは頭の中で思い描いたことを、言葉や形にして外に出すことで、ようやく自分の中で解放されるんですよね。そういう解放感や達成感を、僕は甘い香りとして受け取ったんです。言い換えると、出口から出してしまった瞬間にそれは内的世界では一旦終わりを迎えることになる、ということですね。


幸田御魚さん:

それは破壊ですよね。


Baiyonさん:

うんうん、まさに『Dreams of Another』のテーマでもある「破壊と創造」ですよね。すごく同じことを言っている気がする。




【扉のない壁】

どこから出入りをするのかな。

出入りする必要はないのかな。

もし、この部屋だけが全てなら。


Baiyonさん:

どこかで見た気がするんですが、これは御魚さんの昔の家がモデルでしたっけ。


幸田御魚さん:

僕の実家の部屋ですね。


Baiyonさん:

なるほど。実際に部屋にこもっていたんですか。ゲームのなかでもそういう場所として描かれていると思ったので。


幸田御魚さん:

こもっていましたね。活動的に野山とかも走り回っていたけど、部屋のなかも好きでしたね。


Baiyonさん:

「全て『なら』」ということは、それが全てではないってことは十中八九知っているってことですよね。すごく逆説的な言い方をしている。つまり、出入りする必然があり、内的なまま全てを完結させることはできない、ということですね。



「行き止まりだな。まあ、そうなんだ。

本来はそうであるべきなんだ。」


Baiyonさん:

これも好きでしたね。普通に言えばいいのに「本来そうあるべき」とか言うから、ちょっと一瞬考えてしまう。


幸田御魚さん:

ゲームのシナリオで興味を惹かせる常套手段ですよね。


Baiyonさん:

「ゲーム的には本来そうあるべき」みたいな意味合いにもとれるダブルミーニングっぽいところがいいですよね。普通のゲームならOUのように水たまりに飛び込んでも次の場面に移動できるわけではないですから。プレイヤーがゲーム内でできることをさりげなく特別感のあるものにしている気がします。



「きみがウクロニアにいる理由がきっとあるからこそ、

僕はきみに裸足でいてほしかったのだ。」


Baiyonさん:

なんていうか、世界に対して着込んで防御するよりも、むしろ直に感じられるように裸でいたいという気持ちを、あえて他者からの願いとして示しているのかな、と思いました。


幸田御魚さん:

初め、OUが裸足であることの理由づけがされていなかったんですよ。というのもトゥルーエンドまでの過程では当初、2冊の本が手に入る予定だったんです。それを両足分の靴が手に入るという設定に変えて、この世界から出ることができるようになる演出に変えたんですね。だからこそ裸足でいてほしかったな、という台詞になっています。


もちろんストーリーの都合でもあるのですが、同時に作中で「裸足である」ということ自体が何度か語られるんですよね。濡れた草の感覚であるとか、砂利を踏む感覚であるとか。そういう実感こそが、我々の過去の物語だったりするわけじゃないですか。


Baiyonさん:

確かにその方が豊かな人生を送れるはずだから、君にはそうあってほしいってプレイヤー側に語ってるふうにも受け取れる。可愛くて好きだなって思いました。





【魔法瓶】

甘い紅茶を入れて出かけよう。

あのピクニックの丘に。

二人と、一匹で。


Baiyonさん:

僕はこれがすごく気になったんです。人によっては、「二人と、一匹」が「OUとジェミニとサリー」というふうに受け取れますよね。でも僕が気になったのは、これって設定とつじつまを合わせて入れたテキストなのか、それとも自分のパーソナルな記憶をそのままストレートに入れたのか、どっちなのかなって。


幸田御魚さん:

これは自分の記憶ですね。プレイヤーにどう受け取られてもいいや、と思って入れました。


Baiyonさん:

ああなるほど、分かりました。こういうのって楽しいですよね。作り手からするととてもロマンチックなカタルシスがあると思います。整合性を完全に無視しているわけではなく、共通する感覚の引き出しから見つけたものを持ってきたんですよね。ただその繋がりはあくまでパーソナルにならざるを得ない。だからこそ朧げな記憶のように微かな匂いや温度のようなものが伝わる。シンプルな記憶の欠片がそこにあるのが、なんだか心地良いなと思いました。



【外】

ここは頭の中。

この外は頭の外。

僕らは内側にしか存在できない。


Baiyonさん:

これも気になりました。


幸田御魚さん:

世界観の秘密をわりとストレートに言っちゃってますね。


Baiyonさん:

なぜ僕らは「内側にしか存在できない」と思うんでしょうね。


幸田御魚さん:

やっぱり肉体があるからってことですよね。


Baiyonさん:

うん、それは物質的な頭のなかっていう意味合いですよね。では、この場合の「僕ら」が指すものは、物語上の意味とは別に、御魚さんが書いたときに想定していたのは誰ですか?


幸田御魚さん:

ここは「人々とは」という意味です。僕はスピリチュアルなことはあんまり信じていないので。気持ちや心というのは、やっぱり脳とか臓器のなかに含まれているのであると考えていました。


Baiyonさん:

あ、そう思ってるんだ。気持ちや心は、体中にバラバラにあるイメージですか。


幸田御魚さん:

バラバラにあるイメージですかね。脳にもありますが、それだけではない。


Baiyonさん:

面白いな。記憶はどうですか。


幸田御魚さん:

その辺は漠然としてるんですけど。


Baiyonさん:

これはもはや言葉遊びなのであまり考えずに答えてほしいのですが、それってエネルギーみたいな感じですか?


幸田御魚さん:

魂ですかね。


Baiyonさん:

あったかいですか。


幸田御魚さん:

あったかいですね。


Baiyonさん:

「あちち」ってなるぐらいですか。


幸田御魚さん:

そこまでじゃないです。


Baiyonさん:

じゃあ37℃くらいですかね(笑)お風呂でいうと40℃いかないくらいですね。


幸田御魚さん:

そうですね。『OU』のエンディングの歌詞でも言っているし、『Dreams of Another』でも似た表現があったのですが、モノとモノって基本的にはすれ違っていく存在でしかないんです。このすれ違うときにどれだけ摩擦熱が発生するか。その余熱で僕たちは生きているんだと思っています。


Baiyonさん:

ああ、やっぱり本当に同じようなことを言っていますね。その温度を感じる装置としてのゲームがあるとしたら、その中でプレイヤーは世界や運命を変える存在ではなくて、ただの目撃者なんじゃないかと思うんです。『Dreams of Another』でも一貫して描いたことなんですが、プレイヤーは世界を変えるわけではない。


『OU』もいくつかのレイヤーにはなっているけど、変えているようで変えていない感じがやっぱりあって。むしろ必然を提示されているような感じがしました。世界を変えずに、行き違う熱みたいなものを起こしたいんですよね。もし世界を変えちゃったら、それは小爆発ぐらい起きるかもしれないですよね。でも僕らがやりたいことってそうじゃなくて限りなくさりげないかたちで、あまり変化が露骨に伝わらないかたちで、ふっと通り抜けること。薄く熱を帯びたものがジュワッと広がるようにしたいってことなんですよね。


幸田御魚さん:

そうですね。まさにそれを僕は摩擦熱と呼んでます。



『OU』ラストの言葉の意味



【指輪】

失ってしまったものは

どこかで君を待っているわけではない。

君も探すべきではないのだ。


Baiyonさん:

これも、『Dreams of Another』に似た台詞があるんですよね。彷徨う軍人に道で拾ったガラクタ「あまり重要そうでない鍵」を渡すと、「使う場所が分からなければ、こいつの存在理由はもうないわけだ。元の持ち主を探そうなんて野暮なこと考えるなよ。こいつはやっと自由になれたんだからな。」と言うんですね。このOUのセリフは逆の視点から同じことを言ってるように感じました。彷徨う軍人は、個人的にお気に入りのキャラクターです。本格的に台詞を書くのはそのときがほとんど初めてで、とにかく勢いで書き進めていくうちに、ああいう人物像になっていきました。



幸田御魚さん:

ある種、主人公に対する人生の先輩というか父性の象徴みたいな感じですよね。そんなに歳は離れていないと思うのですが。


Baiyonさん:

なるほど、初めて言われました。でも言われてみたらそうかもしれない。多分、何ていうかな。尖ったものを包んでぼやかしてくれる存在みたいですよね。


幸田御魚さん:

「それはそういうもんなんだよ」って言ってくれるポジションだと思いました。


Baiyonさん:

そうですね。彷徨う軍人のキャラクター性には、ちょっと僕自身の願望も入っているかもしれないです。「こういうやつが幼馴染にいてくれたら、違ったのにな」みたいな。


せっかく彷徨う軍人の話が出たので、それに関連して言うと、オープニングの軍人を操作するシークエンスで「プレイヤーが銃を撃つ操作を入力しているのに、どうしても撃てない」という場面がありますよね。ストーリー上の理由ももちろんありますが、僕自身ゲームが大好きなので、ゲーマーとしては「こんなゲームは成立しないだろう」と思うような演出を、あえて入れてみたんです。プレイヤーがコントローラーで入力しているのに、操作しているキャラクターが「嫌だ」と拒むわけじゃないですか。自分としては「これは面白いな、やるしかない」と思って入れたシーンでした。ゲームを観察し続ける中で、あまりにも当たり前になっている不文律を少しでもずらせないだろうか、という意図がありました。ゲームを買ってプレーしているからと言って、プレイヤーはその世界の支配者ではない、ということも表現してみたかったんです。




【階段】

階段を下るのは、どうもお別れする

気分になってしまう。ずっと登り

続ける階段はくたびれてしまうけど。


Baiyonさん:

このテキストは、「登り続ける」という前提があるように感じていて、どんな状況でも登り続けなければならない宿命みたいなものを感じました。いつも「作る」と「作り続ける」って、全然意味が違うなと感じているんです。


幸田御魚さん:

降りることが諦めとか別れだとしたら、逆にずっと登り続ける、つまりチャレンジし続けることを考えると、やっぱりそれはくたびれるんですよね。そういう単純な比喩です。


Baiyonさん:

やっぱり、登り続けている感覚がありますか。


幸田御魚さん:

いや、今は立ち止まっていますね。なんとか立ち止まっていますよ。


Baiyonさん:

「立ち止まっている」と思うから立ち止まれている、みたいな感じもありますよね。


幸田御魚さん:

そうですね。立ち止まらざるを得ないときもやっぱりありました。


Baiyonさん:

御魚さんはわりと自分との対話をしっかりされているのかなと思いました。


幸田御魚さん:

自分との対話は結構していると思います。


Baiyonさん:

なるほど。ちなみに、自分自身と対話ができない人がいるそうですね。たとえば「あのときなんでああ言ったんだろう」「こうすればよかったのかな」といった内的な振り返りや独り言のような思考が頭の中でほとんど起こらない、とされる症例や診断例があります。こうした人たちは、自分との対話のような内的プロセスが存在せず、ゲーム内でいうウクロニア的な部分も持たない可能性がある、というのも興味深い点です。


ここまで『OU』の感想をお伝えしてきました。改めて伺いたいのですが、本作には御魚さんご自身の思い出が多く反映されているのでしょうか。


幸田御魚さん:

そうですね。『OU』にはかなり入っています。特に、ラストシーンではかなりはっきり明言しています。



Baiyonさん:

あの場面は驚きましたね。僕も『Dreams of Another』でいうと、例えば写生や河原のエピソードとかは実話をベースにしてるんです。河原のシーンに関しては、実際にその経験をした、昔よく行っていた川まで行って、石を拾って擦ったりして、フィールドレコーディングした音を使って曲を作ったりもしました。



Baiyonさん:

僕の作品ではその辺りの事情についてゲーム内で明言はしなかったのですが、『OU』については「あっそうか、はっきり言うんだ」と思いました。


幸田御魚さん:

あえて言うことに意味がある、という僕の思いがあったんです。


Baiyonさん:

それは、お姉さんのエピソードなどが繋がっているということですか。




幸田御魚さん:

そこがこの作品の大きい部分、コアなんです。僕の考えでは架空の出来事だけでは伝えきれないテーマがあって、ただしあまりにも物語の方に自分の体験を入り込ませてしまうと、プライベートフィルムというか個人の話になってしまいテーマから離れてしまうので、そこはあえて切り離しました。別の次元の、本の中のお話を扱っているという設定にして、直接的にはゲームに関係させなかったんです。



「でも、逆に言えばこんな狭い世界に物語やゴールを

持たない者は‥それはそれで幸せなのかもしれないな。」


Baiyonさん:

これって、ご自身は同じような思いに焼かれたという気持ちはあるんですか。僕はそこに共感してしまいました。


幸田御魚さん:

単純にこの辺りは物語の構造上の問題なんです。このウクロニアという世界に閉じ込められているよりは外に出て、現実の世界に戻って現実の自分の視点をもつ方が幸せかもしれない。自分の物語が再開されるから、といった意味ですね。


Baiyonさん:

僕のなかで『OU』の後半に関する解釈があるんです。ジャック・デリダという哲学者が提唱した概念に「パロール」と「エクリチュール」というのがあるんです。パロールというのは、たとえば音楽のライブ演奏とか、スピーチの肉声とか、つまり誤解や失敗があればその場で修正可能なものです。エクリチュールというのは、それが本になったり、レコードになったりして修正不可能な状態になったことを指します。普通に考えたら、パロールが原典なのだから、パロール至上主義的になると思います。でもデリダは「それをいまだに二項対立で語ってるのってちょっと古いんじゃない?」という。そもそも全部グレーなものなんだから、エクリチュールによって、つまり人が誤解したりすることによって生まれていく可能性をなぜ信じられないんだ、と言ったわけです。


僕のなかではエクリチュールの誤解というものが、それぞれのウクロニアを作ると捉えているんです。点と点の間に線があって、それが自由に勝手に意思をもってどこかに接続していくということが、伝えようとしていることなのではないかと思いました。そして最後はシンプルに、「書を捨てよ町へ出よう」ということだと解釈しています。





幸田御魚さん:

そうですね。実は本編ではそこまで描いていないんです。代わりに、Nintendo Switchパッケージ版『OU』の愛蔵版に収録されている漫画で同じことをやろうとしていたんですよ。そこからさらに新しい物語が始まるよ、というところが「サリーの物語」に繋がってくるんです。「サリーの物語」については、そもそも僕自身がサリーをちゃんと救済してあげなきゃいけないな、と思ったところが出発点なんです。それでも中途半端な部分があったので、漫画で補完したということですね。『OU』は「ウクロニア大事典」をおまけとして収録することで、できるだけプレイヤーに分かってもらえるようにはしているんですよ。


Baiyonさん:

そこで伝えたかったメッセージは、クリエイターとして伝えたいことなのか、もっと個人的な思いからきているんですか? もちろん、その境界線は曖昧だと思いますが……。


幸田御魚さん:

いや、クリエイター視点としてこの作品をあまり誤解してほしくないな、という思いですね。


Baiyonさん:

そういえば、映画監督の岩井俊二さんが以前にインタビューで話していたことで印象に残った言葉があるんです。例えば映画のポスターやフライヤーってありますよね。そしてそれらは一般的にはただの販促物だと思われているわけです。岩井さんが言っていたのは、まず映画自体が存在する。でも、たとえその映画を観ていない人がいて、街中でちらりと映画のポスターを見かけただけだとしても、その人の頭のなかでその人なりのイメージで僕の映画ができあがるんだ、って。だから販促物でもなんでも絶対に手が抜けない。映画を観た人だけではなく、そうやって見かけただけみたいな人たちの中にも無数の形で自分の作品が存在するんだ、というようなことを言っていてそれにすごく共感したんですよね。


ゲームも同じで、フライヤー1枚手に取っただけでも、やっぱり想像する世界がある。『OU』ってこんなゲームなのかな、と思いを巡らせることによってその人のオリジナルが脳内で描かれるわけですよね。それがどれくらいの幅をもっているかは分からないけれど、『OU』作中ではそれが一種のウクロニアとして表出しているのだと解釈しています。


幸田御魚さん:

はい、まさにそうですね。


Baiyonさん:

とはいえ、それぞれの断片が重なったり、ゲーム本編とつながることで、その人なりの『OU』がさらに豊かに広がるんですよね。ですから、この対談を読んでくださった方にも、想像したうえでゲームをプレイしてもらえたら嬉しいです。


お2人の熱い談義はまだまだ続きます。次回は、幸田御魚さんがセレクトした『Dreams of Another』の気になるシーンをお届け。『OU』はこちらのページで、『Dreams of Another』はこちらのページで好評発売中です。


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