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『OU』×『Dreams of Another』バンドル発売記念。幸田御魚氏・Baiyon氏が語る、それでも人を「信じたい」僕らの物語(後編)

  • 5 日前
  • 読了時間: 32分

不思議な縁からSteamでバンドルが発売されることとなったアドベンチャーゲーム『OU(オーユー)』と『Dreams of Another』。この対談では、両作品のディレクターである幸田御魚さんとBaiyonさんが言葉を綴った思いを読み解いていきます。今回は、幸田御魚さんが選んだ『Dreams of Another』の気になるテキストについてBaiyonさんに語っていただきましょう。(前回の記事はこちらから)


「Dreams of Another x OU」バンドルはこちら!


※本対談は『OU』『Dreams of Another』のネタバレを含みます。



――続いては幸田さんから『Dreams of Another』で気になったテキストをピックアップしていきつつ、うかがって行きたいと思います。


幸田御魚さん:

よろしくお願いします。





シャッターって古くなってくると開閉の音がどんどんうるさくなっていくよね

僕たちだって本当は嫌なんだ

だって 歳を取っていったらもっと静かになっていきたいもの…


幸田御魚さん:

「シャッターってどんどんうるさくなっていくよね」で終わるなら何となく納得するんだけど、それが「歳をとっていったらもっと静かになっていきたいもの」と思ってるのが、すごくいいなと思ったんです。


Baiyonさん:

やっぱり「歳をとるということによってより静かになりたい」っていうのは、出来るだけ周りに迷惑をかけない終わり方、みたいな最近の世相的にもそうだと思いますし、僕たちみたいなタイプはそうやってかっこいい人を見てきたところもありますよね。





ゴミを捨てられるゴミ箱

その私もいつかゴミになる

そして その私を入れるゴミ箱もどこかにはあるんだろうね


幸田御魚さん:

これは『OU』にも似た台詞があるんです。何かを包んで、それをまた包んで、キリがない……っていうのと同じ感覚ですね。ゴミを捨てるゴミ箱があって、そのゴミ箱もまたどこかにゴミとして捨てられて、っていう無限性を意識させられました。


Baiyonさん:

これはプレイヤーに好きに読んでほしいという大前提で、僕の解釈を話しますね。この台詞の起点となった気持ちとしては、「どんなことでも、自分は当事者じゃないと思って話すな」という思いがあるんです。自分が絶対安全なポジションにいるという意識はもちたくないな、と。いつか僕も当事者になるし、あなたもなるし、例外なく全員そうなる。そういう思いがこの台詞の根底にありました。





私たちポストはいつも待っている側だから

いつか手紙になって会いにいく側になってみたいなぁ


幸田御魚さん:

これは単純に、可愛いなと思って。好きだなあって。


Baiyonさん:

ちょっと可愛いですよね。自分のなかにこういうセンスがあるんだ、ということを初めて知りました(笑)


幸田御魚さん:

そう。文章を書いていると、自分の中で発見がありますよね。


Baiyonさん:

あります、あります。意外にさらっと可愛いことが書けちゃって、1人で恥ずかしくなったりして。


幸田御魚さん:

『Dreams of Another』や『OU』の場合、題材がモノだからできるという部分もありますよね。


Baiyonさん:

そうそう、それですそれです。モノが喋るっていうアイデアは自然に出てきた発想なんですけど、すごく良いやり方ができたんですよ。


幸田御魚さん:

本質的には詩のようなものですよね。



名刺に「肩書き」がない理由




俺たち雑草ってさ 単体でも複数でも雑草って呼ばれるんだよなぁ

どの雑草と一緒に一括りに呼ばれるかなんて

選択肢は無いんだよね

いいなぁ人間は

えっ 君たちも同じようなことあるの!?


幸田御魚さん:

こういう視点はいいですよね。僕は「雑草」っていう言い方自体もあんまり好きじゃなくて。草って個性があるので、その視点がいいなって。で、人間も同じようなことがあるので、確かにそうだな、と思いました。


Baiyonさん:

たとえばスーパーに行って、箱の中にたくさんのリンゴが198円で売っていたとするじゃないですか。目利きが出来る人はそのなかで少しでもいいリンゴを探したりするわけですが、そもそもその箱に入っているリンゴが全部198円という同じ品質なわけないですよね。全部同じなんてあり得ないじゃないですか。そしてそこには分かりやすく手早く消費する社会のトラップが仕込まれているなって感じるんです。社会が「考えるな」って言ってくるんですよね。


198円の箱の中のリンゴには個性があるけれど、基本的には特に考えずどれをとっても大きく失敗することはありません。もしもっと良いリンゴがほしいなら、わざわざ198円の箱のなかで時間をかけてリンゴたちの個性を吟味するより、横に売っている398円のリンゴを買えば話は済むわけですよ。つまり社会がどんどんラベリングすることで個性を圧縮してまとめて、より考えず楽に生きることが出来るようにしていっている。


それを人間に置き換えると、たとえば「学生」とか「会社員」っていう肩書きがあるじゃないですか。人にはそれぞれの生き方と個性がありますから「一緒にしないでほしい、自分は自分なんだし」って思うんです。ですがこれも、社会インフラの整合性みたいな部分として、システム的に必要なだけかな、という感じがしています。



幸田御魚さん:

僕も自分の名刺に肩書きを書いていないんです。


Baiyonさん:

それは、肩書きで呼ばれたくないってことですか。


幸田御魚さん:

そうですね。自分が何者かというと「私は御魚ですよ」と答えるだけなので、あえて書いていないんです。もちろん会社ではディレクターもやったし、デザイナーでもあったけれど、今はどうでも良いかな。「幸田御魚」でいいんだよね、って。


Baiyonさん:

僕も今は会社でクリエイティブディレクターをやっているのですが、普段自分の肩書きは「マルチメディア・アーティスト」と名乗っています。でも自分のことを「アーティスト」って名乗るのは本当のことを言うと嫌なんですよ。非常に難しいことの一つとして、自分自身が「アーティストです」と名乗ることに違和感があるってことがなかなか周りに伝わらないんですね。だって、探しているものがアートなのに何でアーティストなんて俺が名乗れるんだ、って。なんでもう手に入れたものかのように語ってんだ、みたいな。ちょっと不遜だって思うんですよね。幸田さんも他人からパッとみたらクリエイターやアーティストと呼ばれると思うのですが、どうですか。


幸田御魚さん:

僕は、自分がアートって何なのか定義ができていないので、ちょっと距離を置いているんですよね。芸術関係も。


Baiyonさん:

自己認識としてはイラストレーターということですか。


幸田御魚さん:

そうですね。描いているものはイラストだし、そもそも今は自分は絵描きじゃないと思ってるんですよ。今回たまたま『OU』を通じて自分の絵が世の中に出てしまいましたが、もとはゲームの設定画とかを描いていただけで、世に出すような絵を描いたわけじゃないんです。イラストレーターではなくて、デザイナー。特にテクニカルなデザインをやっているって感じですね。




Baiyonさん:

「アートと距離をとっている」という部分について、もう少し聞いてみてもいいですか。


幸田御魚さん:

僕として違和感を感じるんです。何が芸術になるのかよく分からないし、答えが出せない。


Baiyonさん:

だからこそ逆に僕は面白いと思うんです。僕は「何がアートで、芸術なのか」というクエスチョンに、どうやら一生を捧げることになっているっぽいです。で、結局「分かんなかった〜」って言いながら死ぬと思うんですけど、それはそれでいいかなって感じます。


で、アート界隈にいると、いちいちアーティストと名乗る必要がないわけですが、ゲームや音楽業界にいると、「この人誰?」と言われたときに説明責任を果たせなくなる。そこでついに言うしかなくなって最終的に「マルチメディア・アーティストです」と言う名乗りになったんですけど、自分としては少し抵抗感があったポイントではあるんです。それでも、やっぱり、難しかったんですよね。もしかしたら、アーティストという言葉は、その違和感と共にあること自体が、その存在の意味なのかもしれません。


いつかアンケートをとってみたいんですよ。アーティストとして活動している人たちに対して「あなたはどんな呼び方が一番しっくりきますか?」「『アーティスト』と呼ばれることに違和感はありますか? ありませんか?」というふうに。自分の予測では、アーティストと呼ばれたくない人は結構多いんじゃないかなって思います。


で、僕は自分の立場とか説明する努力を怠ってきたような気がするので、だからこそ文章が書きたかったのかもしれないですね。ちょっとそろそろちゃんと言うべきなのかもしれないな、と。それでこんな抽象的なゲームを作っていたらどうしようもないんですけど(笑)



───肩書きの是非について熱く議論していただきましたが、どんな役職や地位を取り払ってもご自身の「名前」は残ると思います。お2人のお名前の由来をうかがってもいいですか。


幸田御魚さん:

魚って、人間の手のひらの熱で火傷を負ってしまうという話がありますよね。だから「魚の幸せって何だろう」という自分への戒めです。


Baiyonさん:

僕の「Baiyon」という名前は、実はもともとバンド名なんです。高校のときに始めたバンドなのですが、メンバーが何度も入れ替わって、最終的に1人になったときに、気づけば個人名になっていた。なんか名前っぽいし、みんなからそう呼ばれているし、「まあいっか」と思ってそのまま数十年きてしまった感じですね。


もともとバンド名としての由来は、日本語で「倍音」ってあるじゃないですか。その単語を「バイヨン」と聞き間違えたんです。なんだかその言葉の響きがいいなと思って、それをローマ字にして名前に使ったわけですね。「倍音」は音楽用語なんですが、一つの音の中に含まれているいくつもの響きのことです。


なぜ「倍音」かというと、まあ普通のことではあるのですが、「他者がいるから、ものを作れる」という響き合いの感覚を忘れないように、という思いからです。つまり、自分を知るには他者を知ることが必要で、他者がいなければ作品は基本的に成立しません。そういう戒めの意味も込めています。やっぱり幸田さんも僕も、戒めという点では一緒なんですよね。戒めるし、アーティストと名乗りたくないし、という共通点がありますね。それにしても御魚さんの名前は、「おさかなさん」と呼ばれやすくていいですね。


幸田御魚さん

心地良いですよ。


Baiyonさん:

得してますよね、可愛いし。何をしてもある程度許されそう(笑)



結婚指輪の刻印は消せる!?



僕たちのことが気になった?

そりゃそうだよね 僕たちポスターは気になるように作られているんだもの

なんかいじわるに聞こえたらすまん


幸田御魚さん:

これは当たり前のことを言っているのですが、ゲームのなかにこの文章があるとドキッとしますよね。


Baiyonさん:

ゲームの構造をからかってる感じですね。インタラクトできるものに反応した、っていうゲーム脳みたいなものに対してちょっと投げかけてる感じです。御魚さんはこれを見て、「ぷっ」となりましたか。


幸田御魚さん:

「ぷっ」てなりました。


Baiyonさん:

嬉しいな。基本、プレイヤーに笑ってほしいんですよね。



『破壊なくして創造はない』

なぜなら破壊するということは 決して終わりではなく

その先を創造するということである

人間の命は等しく有限であるからこそ

何かが破壊されたその時にあなたは生の爆発を感じるのだ


Baiyonさん:

これは確か、一番最初に『Dreams of Another』のコンセプトを作って、実際に作り始める前に書いた文章の抜粋ですね。これは、僕がある気づきをもとに書いた文章の抜粋です。御魚さん、花火って好きですか。いわゆる打ち上げ花火とか。


幸田御魚さん:

見ますけど、そんなに大好物ではないですね。


Baiyonさん:

僕は打ち上げ花火が好きなんです。特に音楽をやっているので、音が好きで。バーンと夜空に響き渡る音で、なんだか覚悟のような感覚を抱いて涙が出てくることもあります。打ち上げ花火って夜空に儚く散って消えていくじゃないですか。年齢を重ねるほど、その瞬間にちょっとホロっときたりして。そして、「どうしてみんな打ち上げ花火に心を動かされるんだろう」と考えると、それって誰にとっても避けられない「いつか死ぬ」というルールを、全員が共有しているからなんじゃないか――そんなことを思ったんです。


つまり花火が消える瞬間の“死”を見ることで、“生”を強く感じるのかもしれない。「死んだ」と言うか「生きていた」と言うか、実は同じことなのかもしれない。そういう感覚から、このテキストを書いたんです。何かが破壊されるときに、むしろその逆の生というものが立ち上がって浮かび上がってくる――いわゆる実存のような感覚ですね。それが自分の捉える美というものにすごく影響しているなって思ったんです。そしてそれは、一種の普遍的なものと思えたんです。


ほかにも、よくいわれる「セミの一生」の話ってあるじゃないですか。何年も地中にいるけれど、外に出たら1〜2週間で寿命が尽きるという。その一種の極端に不条理な話を聞いたときに、人間は儚さと共に生を覚えるのではないか。そして「その1週間は楽しく生きたのかな」とか、ちょっと思いを馳せるじゃないですか。逆をもって逆を語るということは、何でも可能なんだって気づいたのが大きくて。その意識もあって、破壊と創造をこういうふうに語ることを試みたんです。自分の考えを整理するためにも、という感じで、企画を考え始めた段階で書きました。



あなたの心の灯火が 他者の闇を照らすことができます

ですが あなたが眩しすぎて相手は前が見えなくなることも

あるのかもしれないですね


幸田御魚さん:

エンジェリック・エンジェルの台詞は面白いですよね。そのなかでもこれが一番「そういうこともあるのかな」って思いました。


Baiyonさん:

確かにね。心の闇のすべてに光を当てることは果たして良いことなのだろうか、という。光を当てられる側からすると、自分が壊れてしまう可能性もあるんですよね。なぜなら、その存在が自分にとってあまりに大切すぎるから。だから闇に潜んでいた「自分の見たくない劣等感」まであらわになって前後不覚に陥ってしまう。ミューズのような存在に眩しくて目が焼かれてしまうってことですよね。


そういう関係って、もちろん恋愛的な関係とも捉えられるし、相手は人それぞれ違うと思います。そして、その相手は人とも限らないと思うんです。僕にとってはその眩しい存在がアートだと捉えることもできます。そういう意味で、光を当てる側にとっても当てられる側にとっても、大事だからこそ手放さなきゃならない時があるというニュアンスは結婚指輪のくだりでも出てきたと思うのですが、そういう感情に興味があるんですよね。


幸田御魚さん:

結婚指輪のところはゲームの中でも特にユニークですよね。


Baiyonさん:

インパクトがありますよね。離婚した人の結婚指輪をくくりつけた風船を子供に渡して逃げられたりなんかしたりして。


幸田御魚さん:

どのエピソードも結末が良いか、悪いか、というよりは捉え方に両面性がありますよね。ああいう独特の夢の世界のモチーフって、どうやってインスピレーションを得ているんですか。



Baiyonさん:

ゲームに登場する遊園地「ヘブンズ・ドア・アミューズメントパーク」と「クリケット園長」のアイデアのインスピレーションは、特に関西では人気の『探偵!ナイトスクープ』という番組から得たものなんです。それで昔から「パラダイス」シリーズという企画があるんですけど、それは例えば定年退職したおじさんが、今まで働いて得た有り金を使って自分の遊園地みたいなものを作るんです。


当然予算が潤沢にあるわけではないので、譲り受けたもの... 例えば不要になったタイヤとか家具なんかを使いながら、すごく手作り感のあるアトラクションや遊具をたくさん作っていて、それをおじさん園長たちは嬉々として解説してくれるんです。そんな愛すべき遊園地を番組では「パラダイス」と総称しているんですね。離婚した人々の大量の結婚指輪で出来たモニュメント(エターナル・アップサイクル)も、そうした発想が膨らんで生まれたものです。




Baiyonさん:

せっかくなので、表で言ったことのない話もしましょうか。ピエロ姿の園長の名前が「クリケット園長」というのですが、理由があるんです。1998年に今でも大好きな野島伸司さんの『世紀末の詩』というテレビドラマをやっていて、それは「愛とは何か」を問うていくという内容なのですが、そのなかの「パンドラの箱」というエピソードでコオロギさんという花火の町工場で働くおじさんが出てくるんです。ちなみにコオロギは英語でクリケットです。名前の由来はそこからきています。


コオロギさんにはボロいアパートに一緒に住む恋人がいて、それが遠山景織子の演じる若くて美しい女性。でも、遠山景織子は生まれつき目が見えないので自分がコオロギさんと不釣り合いな程に美しいことを知らないんですよ。町工場で働く冴えない中年のおじさんとボロいアパートに住んでいるという現実も見えていない。でも、二人は結婚を約束して仲良く暮らしていました。


そこでコオロギさんは彼女に目が見えるようになって欲しい、自分と同じ景色を見て欲しいという思いで町工場で一生懸命働いて、手術代を稼ぐ。そして無事に彼女は視力を取り戻すんですが、最終的に遠山景織子は自分の姿を鏡で見てその自分の価値を知り、コオロギさんを捨てて、言い寄られていた若くて将来有望な医者を選ぶんです。コオロギさんは彼女の幸せを祈って身を引きます。


コオロギさんは時折バイトでピエロとしても働いているのですが、そのピエロ姿はまるで道化になってもいいから相手の幸せを願う、みたいに受け取ることができます。極めて個人的ですが、そのコオロギさんがその先の未来にどういう人生を歩んでいるだろうか? みたいな妄想から生まれたストーリーです。




Baiyonさん:

パラダイスの話をしましたが、もし自分がそういう遊園地を作るならもう動かなくなった遊具ばっかり集めたいなと思ったんです。いわば存在の意味を失った遊具が余生を誰からも否定されず穏やかに暮らせるところ。それは僕が「実際にそんなところがあったらいいな」と思って作ったものなんですよ。


結婚指輪のモニュメントも、「あったらいいな」と思って。僕は結婚指輪をもっていないんですが、結構リサーチしたんです。結婚指輪ってすごく分かりやすくモノとしての価値が変動しますよね。もちろん人によって大切さは異なるし、たとえ壊れなくても離婚したら基本的には処分するじゃないですか。その人にとって存在していたその指輪に対する意味が、むしろそれを手放す理由になるように思えて、ずっと気になっていたんです。



Baiyonさん:

そこで、結婚指輪を買いもしないのにお店を巡って質問しまくって調べたんですよ。「この婚約者の名前の刻印って後から消す人はいるんですか」とか、「消すならいくらするんですか、もう1回刻印しなおすことは可能ですか」って。それが、実は刻印を消して書き直すことって可能らしいんですよ。そこから興味がどんどん止まらなくなって、結婚指輪そのものよりも、刻まれた文字を消す「加工」のほうに強く惹かれていきました。最初から離婚後の話を聞く人はいないと思うので、かなり変人扱いされましたけどね(笑)


さらに調べると、オークションやメルカリで結婚指輪を売ってる人もいる。売った人はどういう感覚なのかなって興味深くて仕方なくて、インタビューに行きたいくらいなんですが、さすがにできないので……。どういった感覚なんでしょう。


幸田御魚さん:

不思議。メルカリで売るっていうのはよく分からないですね。


Baiyonさん:

逆にいうとあえて「雑に売る」ことが、心理的に自分なりのお焚き上げのような意味を持つのかもしれない。でもそれって、データを消してないハードディスクを不特定多数に売ってるのと一緒ですよね。書き込みをたくさんした本とか売りたくないし、怖いと思ってしまうんですが、結婚指輪ならいいのかな。そういうモノと人間の関係性がすごく興味深いんです。



それでも人を信じたい


Baiyonさん:

御魚さんはものを作っている方なので伝わったと思うのですが、やっぱり『Dreams of Another』ってものづくりの話として作ったつもりなんです。ものづくりの残酷さと美しさみたいなものをどうやって閉じ込められるだろうか、と思って。それは数多くの先人たちが試みたことでもありますね。いろんな人たちがそれぞれのルートで山を登ろうとして、その途中で「自分にはこんな風に見えたけど、どう思う?」と発信している。自分なりにやらなきゃいけないって思うけど、あれは本当にしんどいことですね。とても説明しづらいことですが、結構きつい瞬間がありました。幸田さんは『OU』の制作できつかったタイミングはありますか。


幸田御魚さん:

ずっときつかったですね。やっぱり一番きつかったのは、エンディングで姉が棺に横たわっているシーンを描いていた時です。


Baiyonさん:

僕も人から言われて気が付いたんですけど、すごく「死」を気にしているんですよ。「死んだらどうなるんだろう」「死ぬってどういう意味だろう」「生きてるって何だ」ということをずっと探してて。人から「すごく死に対してこだわっているね」と言われたときに自覚しました。中学生ぐらいのときから、仲のいい友人が突然亡くなることを何度か経験していて、人生観が変わってしまったことに気がつかないままここまできてしまったんです。


幸田御魚さん:

実は『セパスチャンネル』のシナリオを書いている途中に父に不幸があったんですよ。あの作品もかなり父親が関わってくる話だから、後半を書くのはなかなかきつかったです。どういう風に落とし前をつけるのか、自分のなかでいろいろ考えましたね。




Baiyonさん:

あくまで僕なら、という話になりますが……そういう状況ってめちゃくちゃ悲しいと思うのですが、僕の場合、自分のなかに別の自分がもう1人いるんです。そしてそのもう1人の自分は悲しければ悲しいほどに「もっと落ちろ、そうすればアイデアが得られる、これは最高のインスピレーションになる」って、思ってしまう。そういう呵責の念があります。


幸田御魚さん:

それは、ありますね。


Baiyonさん:

一種の業じゃないですか。僕らのダメな部分だと思うんです。ダメだと思ってます。それは本当は良くない。


幸田御魚さん:

良くないですよね。


Baiyonさん:

やっぱり良くないですよね。でももう1人の自分は「もっとむき出しのままで感じろ、いくところまでいけ」という風に、自分を落としていくんですよ。そこで何かを見つけることだけが重要で、それ以外のことはもうどうでもよくなってしまうモードに入るんですけど、そもそも人として本当はそんなことしなくていいですからね。やっぱりそういう自覚はありますよね。


幸田御魚さん:

自覚はありますよ。でないと『OU』は作れなかった。



Baiyonさん:

ですよね。そういうことがある。僕はそれが一番しんどかったかもしれないです。彷徨う軍人のエピソードで、「恋人が死ぬ想像をする」っていう話があったじゃないですか。あれも実話ベースなんです。自分自身が相手をどれだけ好きかを知るために未来を想像して、相手が病院のベッドで死ぬのを想像したらめちゃくちゃ悲しくて、「ああ、こんなに好きなんだ」と気づいたんだけど、その瞬間に「俺って最低」と思ったりして。自分のなかのそういう部分って、御魚さんは受け入れますか?





幸田御魚さん:

そうですね。受け入れるし、ただやりすぎないようにはしないとって思ってます。


Baiyonさん:

やりすぎるってどういう感じなんですか。


幸田御魚さん:

やっぱり、そこだけをデフォルメして描いてしまうとか。そこは真摯に向き合っていかなきゃな、と思っています。


Baiyonさん:

なるほど。ゲームをエンターテイメントだとすると、そのために戯画化するのは不遜な感じがする、ということなんですかね。


幸田御魚さん:

そうですね。そこまではしないですね。


Baiyonさん:

できるだけ「生(なま)」を届けたいですか。


幸田御魚さん:

生を届けたい。嘘はつきたくない。


Baiyonさん:

それは、そういう体験について自分の中で結論を出さないまま、そのまま人に示したいという感じですか。


幸田御魚さん:

どうでしょうね。テーマとして根付かせたいという思いがあるんです。そのテーマをどう受け取ってもらえるかっていうのは、受け取り手に投げてしまっているところがあります。「悲しめ」とか、そういうことではないんですよね。


Baiyonさん:

「悲しめ」って言うのが一番悲しくならない方法ですからね。経験や体験に彩色しないってことですよね。


幸田御魚さん:

自分のそのときの思いを脚本に反映させるっていうところですね。





Baiyonさん:

そこも似ているような気がしますね。僕も経験を客観的事実として描きたい部分があるんです。先ほどの「彩色しない」と同じで、自分の視点や解釈も入れたくない。「こういう現象があった」「こういう事象があった」というそれだけで十分だから、そのまま示すっていうことなのかなと思います。それでいうと、御魚さんって人を信用してますか?


幸田御魚さん:

あんまり信用してないです。


Baiyonさん:

同じですね。僕も信用していません。まったくしてないんですけど、信用しようとすることをやめられないんですよね。本来僕らは他人を信じてないんだから、『OU』や『Dreams of Another』はこういう受け手に可能な限り委ねるかたちでは生まれ得ないはずなんです。この矛盾をずっと抱え続けて物を作り続けています。何でなんでしょうね。僕らは信じることをやめられない。


幸田御魚さん:

何なんですかね。やっぱり『Dreams of Another』でも描かれているように、自分とほかの人や社会とのずれを感じてしまうところが昔からあって、そこがまだ消化できてないからなんでしょうね。


Baiyonさん:

自分のなかでまだ受け止めきれてないってことですね。御魚さんも同じような経験があったんですか。


幸田御魚さん:

それはありますね。それについて苦い思い出はいっぱいありますね。


Baiyonさん:

ですよね。こういう感覚を持つ人同士で集まれたらいいですよね。話していると、御魚さんがもし同級生だったら友達になれた気がするんですよ。僕ら2人で端っこでやっていこう、みたいになったと思うんです。別にみんなに混ざらなくていいじゃない、って。でも、だからって他人を信用してないわけではないですよね。


幸田御魚さん:

そうですね。好きになりたいんですよ、人のことを。


Baiyonさん:

いやあ、もう何かすごく、そうですよね。だからやっぱりやめられない。


幸田御魚さん:

好きになりたいからこそアウトプットする。



Baiyonさん:

アーティストとは呼ばれたくないし、人をまったく信用していないし、しかし人を信じようとすることはやめられないという。


幸田御魚さん:

この業界にはそういう人が多いんですかね。


Baiyonさん:

御魚さんは表現するうえで最適な表現手段を探る感覚はないですか? ここは伝わるけど、ここまでは伝わらない、じゃあ少し違うやり方にしてみようとか。


幸田御魚さん:

僕は趣味で絵を描いたり、あとは詩や文章を書きますが、そのなかでも一番適したやり方を試したりはしますね。絵で表現できないものは詩で表現するとか、逆に詩で表現できないものは絵で表現するとか。音楽は全然やっていませんが、もしできたとしたらそういう使い方をしたかもしれない。


Baiyonさん:

アイデアの種がコアにあって、そこから何に繋がるかっていうことを模索するのは一番楽しいし、その段階ではまだ自分のペースで探っていたいですよね。逆にいうと繋がった瞬間に現実味を帯びるから、そこにあるリアリティと向き合わなきゃならないし、思ったままにはいかないっていう宿命もある。



――クリエイターとしてユーザーを信頼するか、しないかという話が出てきましたが、ゲームをチーム制作する以上スタッフをある程度信頼しなければならない場面があると思います。自身の描く表現を伝えるときにどんなことを意識されましたか。


Baiyonさん:

もちろん、書類や絵など、自分にできる方法で伝えることは前提です。でも、誰を信じるかどうかの話ではなく、あくまで自分がどれだけ誠実に相手に向き合えるか、という視点も大切だと思っています。それでもアイデアを伝えるとき、仕事の制約や相手の状況もある中で、僕が影響を受けたものまで全部話すのは無理なんですよね。ただ、相手によって言い方を簡単に変えたり、削ったりするのって、本当に誠実なのかな、って思うんです。だからできるだけ、自分が面白いと思っているポイントや背景も含めて伝えたい、って意識はありますね。


昔、家族がおじいちゃんに接するとき、わかりやすくするためにいつも情報を簡略化して話しているのを見て、なんだか嫌だなと思ったんです。ある日に、自分が仕事でやっていることをおじいちゃんに説明してあげてと両親に言われたとき、可能な限りそのまま伝えようとしたら、おじいちゃんに「お前は何言ってるのか全然わからん」と言われて両親に大笑いされました。ですが、何度も続けていたら家族に「お前は逃げずに偉い」とも言われ、興味深くもあり、思わずちょっと笑ってしまいました。


もちろん、現実の仕事では相手の状況や制約も考えつつやらなければなりませんが、それでも自分なりに誠実でありたいという思いは、ずっと持ち続けています。分かるか、分からないかはやってみなきゃ分かりません。だから、自分が託そうとした一見無駄に見えるものも知ってほしいという気持ちは持ち続けていますし、できる限り頑張って伝えたいと思っています。



――幸田さんはいかがですか。


幸田御魚さん:

僕はできるだけ手を動かす。分かりやすくなるように図で説明します。特に『OU』の場合は東京と京都という遠距離で開発を進めていたので、毎週打ち合わせもしたしプログラマーと直接話したりもしましたが、必要なときは図を描きました。僕は絵を描くのが一番得意な分野なので、設定などをいろいろ描きましたね。イメージを伝えるという点においてはやっぱり、言葉より強いです。


Baiyonさん:

『Dreams of Another』では、僕にとって本格的な3Dゲーム制作は初めてでした。だからこそ、現在の抽象的な表現方法を選んだ理由の一つに、『OU』のようにすべてを鮮明に描き切れないという事情があります。もし全てを細かく描こうとすると、キャラクターがつけている腕時計のメーカーまで順番に考え始めてしまいそうで、そんなことをしていたら絶対に間に合わないんです。実際、登場人物すべてを深く掘り下げる余裕もありません。道のおばちゃんの人生まで考えている暇はないので、ぼやかして表現できる方法はむしろ助かるなと思いました。できる限り自分がこだわる細かいディテールは、チームに助けてもらって入れられるだけ入れたのですが、鮮明であることが必ずしも必須ではないかもしれない、と思いました。



幸田御魚さん:

逆にユーザーの想像力が働きますよね。


Baiyonさん:

そうそう。御魚さんが言った「絵は強い」という言葉って、細かく描けば描くほど伝わるって意味ではないですよね。雰囲気や空気感を伝えるのに絵はいい手段であるっていう。そこに全てを描き込むようなディテールは必ずしも必要ない、っていうのがいいなと思いました。




豆のスープを食べるように

――ここまで個性あふれる『OU』『Dreams of Another』のテキストを見てきましたが、お2人がライティングで影響を受けた作品はありますか。


Baiyonさん:

いっぱい影響を受けた作品はあるのですが、まず一番は、やはり糸井重里さんの『MOTHER』シリーズですね。もともと僕がゲームを作りたいと思ったきっかけでもあり、言葉を紡ぎたいという気持ちの原点でもあります。『MOTHER』に限らず糸井さんの言葉には立体的に見える力があって、温かくなりつつもどこか寂しくなる、相反する感情を同時に閉じ込めているように感じます。友達を作ることの難しさや、思いを託すことの大変さ……笑いと泣きが同時に来る瞬間の味わい方、そしてその表面をくだらないユーモアでラッピングするような感覚も、この作品から受け取ったものです。


今回の作品で登場する青い「アウラ」と呼ばれる存在は、ヴァルター・ベンヤミンが『複製技術時代の芸術』で論じた概念に由来しています。複製技術の発達によって、大量のコピーが流通することで、本物がもつ唯一の存在感、つまりアウラは失われると彼は指摘しました。「パジャマの男」は、このアウラを感じ取ることができ、モノの想いを聞くことができます。つまり、物の存在はあらかじめ固定されているものではなく、自分が目を向けて初めてそこにあると感じられるものであり、見る側との関係の中で立ち上がってくるものだ、という考え方です。この考え方は、ゲーム全体の表現にも強く影響を与えています。


他には、ミランダ・ジュライの『あなたを選んでくれるもの』です。ジュライは映画監督でありパフォーマーでもあります。アイデアに行き詰まったとき、日本でいう「売ります買います」のようなものに、色鉛筆セットやオタマジャクシなど奇妙な売買広告を一般の人が出すのを見て、なぜそれを売るのかを彼らに1人づつ会いに行きインタビューし、本にまとめました。僕は他人の人生のヒストリーとか、何かに対する執着とかそういうものを知るのがすごく好きで、それらのさまざまな奇妙なやり取りの記録が、寂れた味わいとともに生き生きと描かれていて、人間の多様性を肯定する内容に影響を受けました。


あとは、アラン・ワッツ(※1)やジャック・デリダ(※2)の考え方が好きで、哲学は自分にとって、鳥の視点や顕微鏡みたいな役割なんです。捉え方の尺度を自由に変えられるから、「文章ひとつでこんなに多角的に見られるんだ」という実感を与えてくれます。普通の文章は平面的ですが、僕が目指したのは、いろんな角度から立体的に見ることができる文章です。『OU』も同じで、自分の立場を入れ替えたときにどう見えるか、といった多面性に意識が向けられていると思います。


(※1)アラン・ワッツ

イギリスで生まれ、アメリカで活動した著作家。禅の思想に関する著作を多く残し、1960年代のカウンターカルチャーを牽引した。


(※2)ジャック・デリダ

フランスの思想家。「脱構築」などの概念を作り出し、ポスト構造主義を代表する哲学者。


幸田御魚さん:

僕の場合、文体については谷川俊太郎さん(※3)にすごく影響を受けてるんです。子どものころからすごく好きで。谷川さんの詩であるとか、翻訳であるとか、代表的なのは『マザーグース』の翻訳とかですね。文体のリズムや区切りに影響を受けています。あと文章の内容についていえば、『ベルリン・天使の詩』という映画があるのですが、シナリオを詩人さんが書いている作品なんです。天使の視点や不可視のもの、歴史に関わらないものの視点であるとか、老人と子ども、ありとあらゆるものの詩が映像として成り立っていて、そういったものにすごく憧れを感じています。『OU』の付箋のテキストなどは、それを少しイメージしていますね。


(※3)谷川俊太郎

日本の詩人。『二十億光年の孤独』などの詩集を遺した。2024年に死去。


Baiyonさん:

確かに付箋のテキストはリズム感がありますよね。


――サウンド面の話もお聞かせください。『Dreams of Another』はBaiyonさんご自身が手がけた音作りも特徴的ですが、幸田さんは聴いてみていかがでしたか。




幸田御魚さん:

やっぱりサンプリングの使い方が面白いなと思いました。記憶のシーンとかが特に印象的だなと感じました。


Baiyonさん:

ありがとうございます。御魚さんがおっしゃっているサンプリングというのは、僕が取り入れている、パーソナルな記憶の場所や、モノそのものの音をサンプリングする手法のことですね。今回もさまざまな記憶にまつわる場所でフィールドレコーディングを行い、その音を楽曲に取り入れました。また、今回は“モノの実存”がテーマでもあったので、非楽器を含むモノが発する音や存在感、認識まで拡張して楽曲制作を進めました。その中でも特に尖った楽曲の一つが、自分には聞こえない音だけで制作した『Hymn for the Young』です。御魚さんはこの曲が聞こえましたか。


幸田御魚さん:

あれは(笑)聞こえませんでした。


Baiyonさん

お疲れ様です、お互いもう歳ですね(笑)ちなみに曲名の『Hymn for the Young』は日本語にすると「若者のための讃美歌」という意味です。制作では、年齢的に僕にはもう聴こえない特定の周波数の音(モスキート音)を、聴くことができる20代の若いスタッフに頼んで用意してもらい、波形だけを見ながら作りました。そのため、作っているときも、完成した後も、僕自身にはこの曲が実際にどう聴こえているのか今でも分からないままなんです。


自分が聴こえない音だけで楽曲を作り、完成後も自分は一生聴くことはできない、でも聴くことができる人はいる。そんな状態を作ってみたかったんです。作った僕自身は聴こえないので、想像することしかできません。歳を重ねた自分を実感すると同時に、“可能性”を感じる体験でもありました。『Dreams of Another』の、思いを託すテーマにも繋がっています。




――一方、『OU』の楽曲は幸田さんと作曲家・椎葉大翼さんのコラボレーションによって生まれました。こちらの音作りについてもこだわりを聞かせていただけますか。


幸田御魚さん:

アナログ収録専門のスタジオを使って、本格的にやりましたね。最初から、アコースティックギターを主軸にしたいという考えがあって、椎葉さんも初めての試みだったそうですが、チャレンジしてみると言ってくださったんです。全体的にどういうイメージなのかというと、「おしゃれなヨーロッパの喫茶店でキャラメルマキアートを飲んでいるような感じじゃなくて、地べたで読み古した本を膝に置きながら、豆のスープを食べているようなイメージです」と説明したんです。土臭さとか、ちょっと乾いたラテンの雰囲気をお願いして。盛り上げるパートでは複数の楽器を使って盛り上げてもらいましたが、基本はやっぱりアコースティックギターがメインという部分にこだわりました。


――アコースティックギターを主体にした発想のもとは何ですか。


幸田御魚さん:

『OU』の舞台のイメージがメキシコだったんです。やっぱり、マリアッチのバンドの音色のイメージがすごくあって、ジャンジャカとしたどこか寂しい印象をイメージしました。


Baiyonさん:

弦のアタックがしっかり鳴っていて、あれが気持ちいいですよね。


幸田御魚さん:

ミキシングのときそうなるようにしてもらいました。今回は、近藤祥昭さんというアナログ収録のレジェンドと呼ばれている人がミキシングをしてくださったんです。そのとき「どういう弦の音にしようか、音のカドを取るのが今風だけどどうする?」と聞かれたので「乾いた空気を表現したいので音のカドが出るようにしてください」とお願いしました。南米の乾いた空気ですね。




蜃気楼のような、創造と破壊の物語


――そろそろインタビューも終盤です。ここまで『OU』『Dreams of Another』についてお話しいただきましたが、どちらもお2人の記憶や体験なくして生まれえなかった作品だと思います。制作者としてパーソナルな部分をゲームというかたちに落とし込む難しさについて、いかがですか。


Baiyonさん:

本当に難しい話ですよね。どれだけ「しんどかった」と言ってもそれがどれだけの重さだったのか分からないし、出来上がった後には、ストーリーがあるとは言え、ただボタンを押せば送れる文字になってしまうから。表現してみて一種の強烈さみたいなものは感じたし、当然カタルシスもありました。そして先輩や過去の先人たちが言っていたことと照らし合わせると、僕は引き返せないんだろうなと思います。それを体験した存在になってしまったから。そういう意味で進まなきゃならないけど、何をもって進むというのかは全然分からない。さらに記憶を掘れば進んだことになるのかというと、そんな単純な話ではないじゃないですか。


『Dreams of Another』の台詞でも書きましたが、人間って覚えておきたいことと忘れたいことを選べないじゃないですか。世界の面白さってそれがすべてなのかもしれないなと思ってるんです。僕らの作品って、全員じゃなくて誰かにとって一瞬だけキラッとできる存在なのかなと思います。


――幸田さんはいかがですか。


幸田御魚さん:

初めに作るとき「やっぱり難しいな」ってすごく感じてはいたんですね。壁に当たって。でもそれはやっぱり『セパスチャンネル』のときに経験したからこそできたことではあると思います。いくつかあるレイヤーの一番奥に思いを詰めることによって、きちんとユーザー側にまで届けることができるかたちにできたと思っているんです。ただ100%できたとは思っていないので、何かまた機会があればいろいろなことにチャレンジしていきたいなと思っています。


Baiyonさん:

もし京都にいらしたときは鴨川でゆっくり2人で喋ったりしたいですね。ピクニックでもしましょうか。2人と1匹で。


幸田御魚さん:

はい、ぜひ。



――ありがとうございました。


『OU』はこちらのページで、『Dreams of Another』はこちらのページで好評発売中です。


「Dreams of Another x OU」バンドルはこちら!



この記事を書いた人

聞き手:ササン三(room6)

編集:ササン三(room6)

校正:fukushima(room6)





 
 
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