ネオン煌く廃墟城砦の奥、「触手」を育てる店があった――妖しい幕開けの放置育成アプリゲーム『触手を売る店』。開発者のAchamoth(アカモート)さんはroom6に入社する前、事務職員としてフルタイムで働きながら3年の月日をかけて本作を完成させました。『RPGツクール』界隈からプログラミング未経験でUnityの世界へ飛び込んだ、インディーゲーム業界きってのロック文化マニア。そんな濃密なバックグラウンドを持つAchamothさんの素顔に、前後編で迫ります。
――自己紹介をお願いします。
Achamothさん:
Achamothです。room6では2023年の3月末から、主にUnityのエンジニアとして働いています。直近ですと、『和階堂真の事件簿 TRILOGY DELUXE』(※1)のNintendo SwitchとSteam移植にちょっと携わらせていただきました。
(※1)『和階堂真の事件簿 TRILOGY DELUXE』
2023年、room6から発売されたアドベンチャーゲーム。アプリゲーム『和階堂真の事件簿』シリーズの三部作を収録し、さらに新規エピソードを収録した短編ミステリー集。
――ありがとうございます。個人開発者としての活動も教えていただけますか。
Achamothさん:
個人開発では、『触手を売る店』というアプリゲームをiOS / Android向けに出しました。2021年にリリースしたのでかれこれ2年半前になりますね。いまだにちょこちょこ遊んでもらっていまして光栄な限りでございます。
『触手を売る店』は九龍城砦(※2)のようにネオンがぎらつく配管むき出しの廃墟で、「触手」を育てて売る放置育成アプリゲームですね。スマートフォンで手軽に遊べる、いわゆるクリッカータイプのゲームです。気軽に遊べる一方で、ちょっと妖しくて退廃的な都市で起こる不思議なストーリーも楽しめます。お手軽ですが濃密な体験ができる作品です。ぜひお手持ちのスマホで触手を育ててみてほしいなと思います。
(※2)「九龍城砦」
現在の香港・九龍の九龍地区に建設された城砦および、その跡地に建てられていた巨大なスラム街。1993年から1994年にかけて取り壊しがおこなわれた。
――とても濃厚な世界観のゲームですが、なぜ触手がモチーフなのでしょうか。
Achamothさん:
よく聞かれますが、私は「生き物」が好きなんです。生き物っていうのは可愛い動物だけじゃなくて、たとえば昆虫の奇妙な形とか、海底に住んでる生き物の変な形とか。そういう人智を超えた別の環境で生きている生き物の独自の形っていうのが、すっごく素敵に思えて。それをそのまま組み合わせて描いたら触手になった、という感じが強いですね。なので『触手を売る店』も「虫の触手」とか「海の触手」という風にジャンル分けされています。「人体じゃない全然違うかたちをした生き物」の形が好きなので、それをじっくり描くためのモチーフでしたね。
「驚異の部屋(ウンターガンマー)」(※3)ってご存知ですか? あれも博物的でいろんな生き物の標本が飾ってあるわけですが、ごちゃごちゃしていて不気味で、でも素敵じゃないですか。そういう感じが近いですね。なので触手は私のウンターガンマーです。博物館とかで眺めるのがめちゃくちゃ好きですね。
(※3)「驚異の部屋(ウンターガンマー)」
大航海時代の西欧諸国において、王侯貴族や学者たちによって競ってつくられた珍品陳列室。宝飾品や工芸品といった人工物のほか、人魚・ドラゴン・ユニコーンの角といった架空の動物までもが並べられた。
――博物館にはよく行かれますか。
Achamothさん:
よく行きますね。上野はもちろん行きましたし、東京大学総合研究博物館にも行って。あとゲームイベントが岐阜県であったときも行きました。岐阜は昆虫で有名なんですよ。ギフチョウっていう固有種もいたりするんです。そのためか、ものすごく大きな名和昆虫博物館という施設があって、そこも行きましたね。イベント半分、博物館半分で岐阜に行ってました(笑) サンシャイン水族館で「へんないきもの展」とかやってるのにも昔はよく行きましたし、あとダイオウグソクムシを観に鳥羽水族館も行きましたね。デカかった。良かった。
――なるほど。『触手を売る店』はアジアンゴシックな世界観も見どころですが、九龍城砦的な舞台設定はなぜ選ばれたのでしょうか。
Achamothさん:
私はヴィジュアル系ロックバンドが昔から好きなのですが、ずっと原初からの問いとして「ヴィジュアル系って何なんだろう、なぜあのようなスタイルになったんだろう」と思っているんです。あとでお話しますが、その答えの1つがロック文化としての流れで、私がロック文化について調べるようになったきっかけでもあります。
一方で、ヴィジュアル系がやりたかったことって実はロックじゃないんじゃないのかっていう考えもあって。もしかしたら、江戸川乱歩のような猟奇的な文学性なんかを音楽でやってるんじゃないのかなって思ったんです。ヴィジュアル系の根本的な概念、つまり退廃や猟奇性を現代でやろうとしたら、最近熱いモチーフでいうと九龍城砦かなって。それで『触手を売る店』が生まれました。
――九龍城砦的なモチーフはもともとの趣向というより、昨今の流れを汲んで採用したということですね。
Achamothさん:
と、やってるうちに実際に好きになっちゃいまして……。東アジア美術についてもいろいろ調べてやっていきたいなあっていうのが今の流れですね。作品を作っているとまたほかのモチーフが気になっていって、新しい題材を手に入れるというのが続いている感じがします。
――アジア圏の話でいうと『触手を売る店』は、昨年11月に言語追加アップデートをされていましたよね。
Achamothさん:
そうなんです。やはり香港をモチーフにしたゲームだったので香港・台湾の人たちにはぜひ遊んでほしいなと思って、公益財団法人日本ゲーム文化振興財団(※4)の助成金の採択を受けました。東京ゲームショウで懇意にしていただいた香港系のメディアさんのお力添えなどもあって無事翻訳を成し遂げ、去年の11月にリリースしたかたちです。
(※4)「公益財団法人日本ゲーム文化振興財団」
若手ゲームクリエイターの創作に対する助成支援をおこなう国内の財団で、代表理事は岡本吉起氏。毎年度、審査を通過したゲームに対し助成金を支援している。
――言語追加アップデートも大変そうでしたね。
Achamothさん:
死ぬかと思いました(笑) 次から次へと分からないことが出てきて、大変でしたね。ちょっと心が折れかけましたが、諦めず成し遂げました。
――現地のプレイヤーさんから反響はありましたか。
Achamothさん:
そうですね、実のところこちらから反響を探りづらいというのはあります。やっぱり向こうの方々はメインで使ってるSNSもWeiboとかであまり馴染みがないので。翻訳作業も大変でしたが、広報やそのあとの状況を探るのは個人では手出しできないなあ、みたいな感覚がありますね。
――ちょうどコロナ禍で海外イベントに出られなかったのは惜しかったですね。リリース時期がコロナ禍に被ってほかに大変だったことはありましたか。
Achamothさん:
でも、コロナ前の2019年に出られるイベントは全部出きったような感覚です。残念だったのは2020年のBitSummitですね。あれが中止になってDiscord上のイベントになってしまったので、現地で出ることができなくて。コロナ禍で残念だったのはそれぐらいでしょうか。ほかにリリースでなにかあおりを食らったみたいなのはあんまりなかったですかね。
ゲーム開発の発端は“あの名作”
――ところで『触手を売る店』はUnityで制作されていますが、Achamothさんはゲーム開発を始めたころからUnityを使われていたのでしょうか。
Achamothさん:
いえ、初めてゲームを作ろうと思ったときは『RPGツクール』(※5)が手元にあったので、それでフリーゲームをいくつか作りました。
(※5)『RPGツクール』シリーズ
株式会社KADOKAWAから発売されているRPG制作ツール。プログラミングをしなくてもオリジナルのゲームを制作することができる。
Achamothさん:
1作目が『RPGツクール VXAce』で、それまでの『RPGツクール』シリーズの集大成のような安定したツールでした。その次の作品からの制作ツールが『RPGツクール MV』ですね。『RPGツクール MV』はもっと進化してブラウザゲームが作れるツールで、かつ解像度が上がっているのが特徴です。
――『RPGツクール VXAce』で制作された第1作が『PUB』(※6)ですね。こちらのリリースは何年ごろだったでしょうか。
Achamothさん:
『PUB』が2016年なので8年前ですね。確か2014年から2年半くらいかけて作ったんです。
(※6)『PUB』
Achamothさんが公開したフリーゲーム第1作目。イギリス・ロンドンで時空を旅する不思議なパブを訪れ、1950年代ー1970年代のロック文化を垣間見るアドベンチャー。
――プレイさせていただきましたが、1周するのに10時間かかってしまいました。処女作にして大作ですが、あのスケール感は最初から意図されていたのでしょうか。
Achamothさん:
いや、もうやりたいこと全部やったらああなっちゃった(笑) そんなプレイ時間が10時間を越える気はまったくなかったです。ゲーム開発したいなって思ったときの原初の衝動が詰まっていますね。
――それでは『RPGツクール』でゲームを作り始めたきっかけを教えていただけますか。
Achamothさん:
そうですね。まず『RPGツクール』で作ろうと思ったきっかけは『Ib』(※7)ですね。やっぱり『Ib』なんです。
(※7)『Ib』
日本のインディーゲームデベロッパーkouri氏が開発し、2012年2月に発表された、不気味な美術館が舞台の2Dホラー探索型アドベンチャー。プレイヤーはひとりぼっちになったイヴを操作し、辺りを調べてアイテムを見つけたり仕掛けを解いたりして進む。2022年にPLAYISMよりリメイク版がリリースされた。
――『Ib』がインディーゲーム業界に与えた影響は凄まじいですね。
Achamothさん:
『Ib』はすごく面白くて楽しくてお話も泣ける。キャラクターもいいしゲームのギミックもよく練られてて面白い。なのに「これが『RPGツクール』製なんだ」っていう衝撃。こんな雰囲気があってRPGじゃない作品を『RPGツクール』でも作れるんだなあって驚きまして。「『RPGツクール』だったら自分でもできるんじゃないのかな?」って思ったんです。
――なるほど。……でも、『Ib』に影響を受けたといいつつ、作った作品は全然『Ib』っぽくなくて、ロックがテーマですよね。
Achamothさん:
(笑) ロック音楽が好きなんです。ずーっと思春期のころからバンギャ(※8)をやっていて。ただ、みんな基本は「バンドのメンバーがカッコいい」ってのめりこむものなんですけど、自分はそうじゃなかったんですね。来てる服だったりPVの映像だったり「雰囲気」とでもいうようなものが好きなんです。
(※8)「バンギャ(バンドギャル)」
ヴィジュアル系バンドの熱心なファンである女性のこと。
Achamothさん:
言葉にできないけど、一種の統一性があるというか「『ロック』といったらこういうの」っていうのがありますよね。でも同じロックなのにL'Arc〜en〜Cielと矢沢永吉は違うしな、とか。どっちも紛れもなくロックだしなあ、何だろうなあっていうのがあって。調べるうちに、ロックにも歴史があってジャンルが細分化されてて、時代に応じて形も違ってて……っていうのが分かってきたらすっごい面白くて。ヴィジュアル系のメイクとか、何であんな服や格好をしてるのかっていう理由もよく分かったんです。
それでこれはもう「皆に知ってほしい!」って思って。でもまあTwitter(現・X)で呟いても誰も聞いてくれないわけですよ。「こんなに面白いのに……」と。そこで「じゃあゲームにして楽しく遊んでもらえたら、全然そういうのに興味がなかった人でも『ああそうだったんだ』って思えるんじゃないか」と考えたんです。例えば『けいおん!』のあの要素はそういう元ネタだったんだ、とか。漫画・アニメのいろんなところにロックがモチーフで使われてるから、それを分かるようになるんじゃないかなって思って。
――そこで表現媒体が漫画や小説ではなくゲームだったのは、やはり『Ib』の影響があってですか。
Achamothさん:
そうですね。漫画や小説、絵とかだと手に取ってもらえるようなものを作れる気がしないけど、『RPGツクール』で作るストーリー中心のゲームなら自分でも作れる気がする、ってピーンと思いまして。
――行動力がすさまじいですね。
Achamothさん:
今言ったことはいまだに思っています。何気なく見ている服とか、漫画やアニメの変わったモチーフは元ネタがちゃんとあるんだよ、っていうのをずーっと思ってますね。「知ってほしいなあ」という気持ちがずっと強い原動力です。自分で思うんですけど、論文書いて学会に発表するのと似た気持ちなんだと思います。「今回はこれとこれのつながりについて研究してかたちにしたのでご覧ください」みたいな。
――学術的な興味に近いんですね。「ロック文化が好き」という気持ちも、社会史として見る色合いが強いのでしょうか。
Achamothさん:
「カッコいいから」というのもありますが、それ以上に、ロックに興味がない人が見ている作品にもロック文化の要素が差し込まれているから、そのつながりを調べるのが好きですね。さらにさかのぼっていくと、ロックと全然関係ないものが紛れ込んでいたり、ゴシック小説の要素があったり。調べれば調べるほど新しいことが出てきて終わらないですね。
――Achamothさんのロック文化解説といえば、noteで公開された『ポケットモンスター ソード・シールド』とパンクの繋がりを解説した記事の反響が大きかったですね。
Achamothさん:
パンクについてはあれで書ききってます。あれが全てですね。あのときのポケモンはパンクモチーフをふんだんに使いまくっていてすごかったです。普通はふとゲーム内で目にした要素に対して「ああ、ネズ(※9)かっこいいなあ。でも何でここで出てくるのがネズなんだろう」で終わってしまうんですよね。でもパンク文化を知ってると「ネズが出てくる理由がちゃんとあるねん」っていうのが分かるんです。やっぱり元ネタを分かっているからこそ、ゲームのお話がもっとよく分かるっていう楽しみがあると思います。それをみんなにも味わってほしいなあ、と常に思ってますね。そういう気持ちがあるので、ゲームを作りつつ「ほかにも伝える方法があるなら」と思ってnoteで書いたりしてますね。
(※9)「ネズ」
『ポケットモンスター ソード・シールド』に登場するジムリーダーの1人。Achamothさんによれば、イギリスのパンク文化を体現する人物。
――自分の好きな世界を知ってほしいという根底の欲求があるわけですね。
Achamothさん:
そうですね。特に反響があったのが「IT未経験アラサー事務員が3年でアプリゲームをリリースするまで」とか「フリーゲーム制作からインディーゲーム開発に移って良かったこと・辛かったこと」でした。やっぱり同じ境遇の人がいっぱいいるわけですよね。私の体験談を事前に知ってもらうことで失敗や恐れをなるべくなくして、ほかの人が前に進む力になったら嬉しいなあ.......という感じで自分の経験談で役に立ちそうなことをnoteに書いてる、っていう本音もありますね。
――noteの話が出てきましたが、Achamothさんはゲーム開発の傍ら文章発表のペースもすさまじく速いですよね。文章を書くモチベーションはどこから来ていますか。
Achamothさん:
第一には伝えたいことがあって「それを知ったらより人生が面白くなる」「オタク的な作品やふと何気なく見かけたことも面白く感じる」から知ってほしいって気持ちが強いんですけど。そうじゃなくても、ただのエッセイものとか日記的なものもいっぱい書きます。やっぱり根本的なきっかけは、思春期のときに吃音症を患っていたことにあるんです。つっかえちゃって喋れないから、言葉でなにか伝えるのは当時諦めてたんですよね。
でも日々の生活のなかで言いたいことはいっぱいあるわけですよ。うまく言えない、言う相手もいない、家族に話すのは違う、もっといろんな人に聞いてほしいなあ……ってときにインターネットを手に入れまして。ブログが主流なタイミングだったので毎日ブログを書き続けて、そこらへんが原体験ですかね。私にとって文章を書くってことは誰かと会話をすることと同じくらい重要な、息を吸うように当たり前にやることって感じがします。
今は30代になって吃音もすっかり落ち着いたからこうやって普通に喋ることができますけど、若いころは本当につっかえて喋れなかったから、代わりに文章を書いて伝えるしかないなっていうのが大きくありましたね。文章を書き続けてるうちに、もうすっかり頭の中で考えることはほぼ文章で思い浮かぶようになりました。いい文章が思い浮かんだら書き残したいなって思って、noteとか静かなインターネットとかに書き残してるような感じですね。文章を書いて伝えるってことは私にとってそんなに難しいことじゃない、自然にやるようなことになってます。
――世の中には「文章を書くことって大変……」という人も多いと思うので、Achamothさんのようなエネルギーの持ち主は稀有ですね。
Achamothさん:
自分では特別だと思っていないことが、実は自分の特技だったりするんですね。ただこんな感じで本当に「喋る代わりに身につけたこと」だから、「これで食べていこう」とか「仕事にしよう」っていうのは考えなかったです。たとえばライターさんとかエッセイストとか、あと小説家とか。仕事にしちゃうと書きたくないことや興味がないことももちろん書かないといけないから、それができるのかって言われるとちょっとあんまり自信がない部分があります。小説はいつか書いてみたいですけどね。
――あまりにも日常的なことだから、例えるなら「食べること」を仕事にできるとは限らないということですよね。
Achamothさん:
本当にそれに近いです。お腹が減ったから食べるというのと同じ感覚でやってるから「必ずこれをこう書きなさい」と言われても「それはできるかどうか分からないなあ」という感じですね。あくまで副産物的な感じで書くのがいいのかなって思ってます。最近はBlueskyが始まったので、そっちの方でブワーッと書いて満足しちゃってるところがあって、そこはSNSの弊害ですね(笑)
未経験OLからプログラミングの世界へ
――今少し仕事のお話が出ましたが、前職は何をされていたのでしょうか。
Achamothさん:
まず20代のうちはずっとケータイのキャリアショップで働いていて。ケータイショップのお姉さんだったんですよ。スマホを売ったり、機種変更したり。
――覚えることが膨大なお仕事ですよね。
Achamothさん:
ガラケー時代の終わりくらいには、まだ覚えることが少なかったんですよね。でも勤め始めてから1年後にソフトバンクからiPhoneが出て。「なんか変なの出たなあ」って思ってたら、あれよあれよと普及したんです。あのときのガラケーからスマホへの過渡期を最前線の現場で味わったあと、なんと店長になっちゃうんですよ。
そして店長を10年くらいやったのですが……。ガラケー時代はお店もふわふわやってられたんですけど、スマートフォンというものがインフラになっていって、やっぱり店長をやるのには自分の性格的にも壁があって。人の面倒を見るのも実は苦手だったんです。本当はプレイヤー、つまり自分でやりたい側だから。マネージャー気質でもないから壁が見えて、ってときに「じゃあパソコンがすごく得意だからOLやる」と思い立って。売上管理側の事務員の方に変わったんです。
――会社はそのままですか。
Achamothさん:
会社はずーっと初めて入った会社に15年いて。かなり勤めましたね。で、20代後半くらいまで趣味でいろいろな一次創作をやっていたのですが、途中で「ああゲーム開発ってあるんだなあ」と気づいて29歳で『PUB』ができて.......という時系列ですね。
――かなり普通に事務職員をしながらゲームを作ったんですね。
Achamothさん:
スマホを売りながらゲームを作って。ゲームができたのと同時に店長を辞めて、事務員に。配置が変わったという感じですね。
――やはり当時はお忙しかったのでしょうか。
Achamothさん:
店長時代はやっぱり帰ってくる時刻が21時とか22時とかですね。お店が20時までやっていて、そのあと締め作業してって感じですから。レジ締めがあるんですよ。お金が合わないと帰れなくてね(笑) でもそれがずっと普通だと思っていたから、帰ってから1時間くらい絵を描いたり、ゲームのコマンド入力をして寝て、みたいなことをしていました。今思えばよくやってたなあって思うんですけどね。
シフトで休みの日はまとめてバーって作業をして、2年くらいかけて『PUB』を作って。それでその後OLになったからかなり時間に余裕ができて。生活の変化に慣れたのもあって、そのほかのゲームは半年くらいで全部作ったんですよね。
――でも8時間労働して帰ってきて作業……という感じですよね。
Achamothさん:
そういう感じです。なんか普通にやってましたね。ただずっと楽しいからやってました。特にフリーゲーム時代は「お金を稼ごう」とか「これで食っていこう」という気持ちはなかったので。ニコニコ動画さんのコンテストでいい賞をとりたいなあっていうのがあって頑張ってたりはしてました。それが一番の目標だったので、力の入れ具合もちょうどよかったのかなあって思います。
――なるほど、フリーゲームならではの強みですね。
Achamothさん:
でもフリーゲームを作ってるとやっぱり「もっといいものを作りたい」「もっといい感じになりたい」と物足りなくなってきまして。それで「ああ、もうフリーゲームじゃなくて何かできないのかなあ」と思って東京ゲームショウに行ったら、そこで初めてインディーゲームっていう存在を知ったんです。
それまではフリーゲームってニコニコ動画さんに認められて、漫画化してもらうぐらいまでしか夢がなかったんですけど、やっぱり狭き門なんです。それに自分が作りたいものと違う作風じゃないとそこまでいけないっていうのも分かったし、どうしようかなって思ってたんですが、「インディーゲームなら自分が作りたいものを作ってそのまま売れるんだ」と思って。ガーッて目の前が開けたんですね。「これやってみようかな。じゃあUnityを覚えてアプリゲームを作ろうかな。スマートフォンをずっと売ってるから、今度はスマートフォンの中身を売ろうかな」みたいな感じでしたね。
――東京ゲームショウに行かれたのは何年くらいですか。
Achamothさん:
初めて行ったのが2017年だったかなあ、確か。『ACE OF SEAFOOD』(※10)が展示されてたのを覚えてます。なんか魚ですっごい変なゲームだけど面白くて、何より開発者のぬっそさんがニコニコ笑いながらプレイヤーさんのプレイを見てすっげー楽しそうで。「こんな楽しそうなの!? 展示って! 私もやりたい!」と思ったんです。『ACE OF SEAFOOD』の楽しさっぷりが結構デカかったですね。めっちゃニコニコしてましたよ、ぬっそさん。その後いざ自分で東京ゲームショウに出たらへとへとになりましたけどね。
(※10)『ACE OF SEAFOOD』
国内のインディーゲームクリエイターぬっそ氏のスタジオ、Calappa Gamesが開発したアクションシューティングゲーム。魚や蟹で最大6体のパーティを編成し海中を探索しながらさまざまな生物と闘い戦力を拡大していく。2017年の東京ゲームショウで、センス・オブ・ワンダーナイトAudience Awardを受賞した。
Achamothさん:
それで『触手を売る店』はもともと『RPGツクール』でフリーゲーム版を一度作っていたんです。それの前日譚をUnityで作ってみようって気軽に作り始めたら……さ、3年かかった(笑)
――やはりUnityに移植するのは大変でしたか。
Achamothさん:
そうですね。『RPGツクール』時代はただただ楽しかっただけだったんですけど、Unityをやろうと思い立ってもまずプログラミングをなにも知らないですから。変数やPrivate、Public(※11)っていう概念がなにも分からなくて、そこから始めて。C#も全部独学で覚えたんです。ただ作るだけじゃなくて「勉強する」ってことも加わったから、最初は図書館に行って受験生に交じってC#を勉強して。それをやりながらなんとかゲームが動くようにして、デジゲー博に展示して……って感じで地道に。みんなが鼻歌交じりにできることが、私はなにも知らないからできないんです。
(※11)「変数やPrivate、Public」
変数は、プログラミングにおいて数字や文字などの値を入れられる箱のようなもの。PrivateやPublicは、ある変数やメソッドに対して、ほかのスクリプトからアクセスできるか否かを決める修飾詞。
――『RPGツクール』からUnityとなるとかなり制作環境が違いますよね。
Achamothさん:
『RPGツクール』ではノンプログラミングでコマンド入力でできてたのを、プログラミングでやるから本当に最初意味が分からなくて。でも続けていくうちに結局今はroom6でプログラマーとして働いてるわけですから、続けると身につくもんですね。
――ゲーム開発を始めるまでは本当にプログラミングの経験がなかったんですか。
Achamothさん:
全くなかったわけじゃないです。高校が商業学校だったんですけど、そこでCOBOL(※12)を当時勉強してて。そもそも全然違うからなにも役には立たなかったんですけど、プログラミング的な考え方は身に着いてましたね。でもあってないようなもん。高校のとき習ったやつだしもう忘れましたからね。なのでやっぱりOL時代は「プログラミングを覚える」って壁を乗り越えるのが一番大変でしたかね。
(※12)「COBOL」
事務処理用に開発されたプログラミング言語。
――大変な努力をしてプログラミングを習得されたAchamothさんですが、そこからゲーム業界に転職しようとしたきっかけは何だったのでしょうか。
Achamothさん:
ゲーム業界っていうそのものには全然興味がなくて。個人開発で十分だと思ってたんですよ。みんなですごく質が高いものを作るっていうのよりは、自分1人で作りたいものを作って、届けられる人に届けたいなって気持ちが強かったので、あんまりゲーム業界やゲーム会社っていうのに興味はなかったんです。ただroom6だけはなんというか、自分が個人開発でやりたいこととroom6がやられてることってすごく近いなと思ってて。自分はゲーム業界というより、インディーゲームでディープに活動したいなって考えていたんですね。
room6は本当にインディーゲームのすごく深いところで活動している、日本のインディーゲームを代表するようなところだって思っていたんです。「こういうところだったら働いたら楽しいだろうなあ」と感じまして。「ゲーム業界に行きたいんじゃない、room6で働きたいんだ」って。こんな風に活動していきたいなっていうのを会社規模でやられてたので、ここで働いたら楽しいだろうし、やりたいことをやりながらお仕事できるんだろうなって思ったら、プログラマーの募集を開始したときに応募しちゃいましたね。
あと募集要項が自分にドンピシャっていうのもありました。「業界未経験の方でも個人開発で活躍しているような方なら問題ありません」とか、完全リモートワークだとか。どうしても地元にいたかったんです。生活していくうえでも自分の経歴的にもすごくドンピシャだなあって思いまして。それまで転職活動なんてしたことなかったんですけど、初めて応募しました。
――実際にroom6に入ってみていかがでしたか。
Achamothさん:
最初に振られた仕事が『和階堂真の事件簿 TRILOGY DELUXE』で、開発チームが墓場文庫さん(※13)っていうのもあって。勝手知ったる人たちだったのですごく和気あいあいと楽しくやらせてもらいました。
(※13)「墓場文庫さん」
『和階堂真の事件簿 TRILOGY DELUXE』の開発チーム。現在、集英社ゲームズのもと『都市伝説解体センター』を開発中。
――墓場文庫チームとはもともとつながりがあったのでしょうか。
Achamothさん:
そうなんです、ゲームショー繋がりで。まずハフハフおでーんさん(墓場文庫グラフィック)がよく声をかけてくれたんです。と思ったら相方のMOCHIKINさん(墓場文庫プログラマー)とすごく気が合って、推理小説の話とかしたりして。あと映画ですね、映画。あっ思い出した! 仲良くなったのClubhouse(※14)だ。
(※14)「Clubhouse」
ソーシャル音声プラットフォーム。知らない人同士、音声だけで気軽に話し合えるツールとしてパンデミック下の2020年ごろ流行した。現在は友人同士の非リアルタイムなチャット機能をメインにおいている。
Achamothさん:
あれで映画に詳しい人を集めて話そうってことになって、room6のプログラマー仲間のMassafluxくんと私と、ところにょりさん(※15)の3人で話してて。それをずーっとMOCHIKINさんが聞いてるんですよ。
(※15)「ところにょりさん」
国内のインディーゲーム開発者。代表作『ひとりぼっち惑星』は2016年、SNS上で大きな話題を呼んだ。2023年、講談社ゲームクリエイターズラボの第1期メンバーとして、2人専用パズルアドベンチャーゲーム『違う冬のぼくら』をリリース。
――MOCHIKINさんはその間参加しないんですか。
Achamothさん:
参加せずにアイコンで会話してくるんですよ。そのとき2時間ずーっと『ジョジョ・ラビット』(※16)っていう映画の話を続けたんです。そしたらMOCHIKINさんがアイコンに「違う映画の話せえや」って書いてきて(笑) そうだ、映画ですごい仲良くなったんです。墓場文庫のみなさんと。
(※16)『ジョジョ・ラビット』
日本では2020年に公開されたアメリカのコメディ映画。第2次世界大戦下のドイツでアドルフ・ヒトラーをイマジナリーフレンドとする少年ジョジョが、母親の匿うユダヤ人少女と出会うことで変化していく物語。
――それでお仕事でもご縁があったと。
Achamothさん:
そうです。確か墓場文庫さんのチャットルームで「room6に入った新人さんを入れますよ」って紹介されて。「Achamothです」って入ったらみんな「知っとるわ!」みたいなこと言ってました(笑)
――すでに関係性の下地があったわけですね。それでも、まったく違う業界からゲーム会社に入るのには苦労もあったかと思います。未経験でゲーム業界に転職するうえで工夫したことはありましたか。
Achamothさん:
積極的に発表していくっていうのがやっぱりあります。アプリゲームのみならずnoteも含めてですよね。いろいろ発言していって、人となりを知ってもらうことでご縁があると思います。やっぱりイベント。イベントに出るのがいいですよ。完全未経験ですけど、イベントに出まくったあの1年間があったからこそいろんな方に知ってもらえて、墓場文庫さんやroom6のみなさんとご縁ができて就職する感じになったのかなあと思いますね。イベントに出て、いろんな人とおしゃべりしましょう。ゲームを作ってイベントに出よう。イベントじゃなくても、もくもく会(※17)とかだったら展示するものがなくても出られますからね。
(※17)「もくもく会」
複数人で集まっておこなう勉強会や集会のこと。インディーゲーム開発者向けのもくもく会も全国各地でおこなわれている。
幻の次回作と、その先へ
――ここで、実はAchamothさんには開発の道半ばで中断された作品があるとの情報を伺っています。もし可能であれば、その「幻の次回作」についても伺っていいでしょうか。
Achamothさん:
そうですね。最初『触手を売る店』をせっかく作ったから、アプリゲームをもう1本作ろうと思って『Spooky Salvage』という企画を立てたんです。これは着せ替えアプリですね。家具を着せ替えて、お部屋を作りながらお話を読んでいくっていうのを作ろうと思ったんですけど。途中で『触手を売る店』の広告の管理ですっごく苦労したんです。それで「もうアプリ、広告は嫌だ!」と思って。
じゃあ買い切りの作品として売るか、って思って販売プラットフォームをSteamに変えようと考えたのですが……。ゲームの舞台をヴィクトリア朝時代のイギリスにしていたんですけど、Steam上だとヴィクトリア朝の作品はもういっぱいあって、ありふれていたんです。アプリゲームだと全然なかったんですが、Steamだともう目新しい題材ではなくて。かつ、アプリゲームとして考えていたゲーム性をSteamで遊べるようにすると、もう破綻しちゃって。もうこれは、一旦全部なかったことにしないと駄目だと感じました。
「Steamでほかにリリースされているヴィクトリア朝のゲームに並んで『Spooky Salvage』を出して、意味があるのか」と考えてしまったり。そもそもヴィクトリア朝時代をモチーフにするんだったら、もうイギリスの開発者さんが作るのが一番いいんだから、それでいいんじゃないのかって思って。
――『PUB』などのシリーズ作品は日本人が日本人にロック文化を伝えるために作る意義がありましたが、Steamになると現地の方が作っている純度の高い作品があるから、わざわざAchamothさんが作る意義がないと考えたわけですね。
Achamothさん:
まさにそうです。Steamでは今や海外の方が作った海外の文化の作品を、ちゃんと綺麗に翻訳された状態で遊べることが多いですよね。逆に日本人の私が作るんだったら、日本人特有の目線や文化のものを作って海外の方に遊んでもらうくらいの、逆転の発想の方がいいんじゃないかなあと思ってきて。一から他の企画にしようと考えて『Spooky Salvage』はお蔵入りになりました。
――それでは、現在はゲームを制作されていないのでしょうか?
Achamothさん:
いえ、作っています! 『Spooky Salvage』をお蔵入りさせたわけですけど、やっぱりSteamで作るんだったら日本人が日本人の文化や目線で作れるやつがいいなあって思ったんです。でも同時に『触手を売る店』で作った東アジア圏の文化でも、やりたいことがまだいろいろあって。『触手を売る店』を気に入ってくださった方も次回作が遊びやすくて、かつSteamでもやる意味があるような作品を考えたときに、キョンシーを題材にしたゲームにしようかなと思いました。そこにプラス、日本人ならではの歴史的な目線を入れられたらと思ってます。
――キョンシーということは、道教文化がテーマとなるのでしょうか。
Achamothさん:
雰囲気として道教はもちろん取り入れるのですが、メインは中国美術の漢詩や水墨画などです。それらが発達して日本に入ってきて、日本の水墨画や詩、小説に変わっていって……という美術の流れをやりたいなあ、という思惑もあります。長い目で見たとき、時間の経過とともに美術がどんどん広がっていって違う国にわたって、という文化史的なこともやりたいなと。
――文化史マニアのAchamothさんならではの視点を味わえそうですね。楽しみです!
この記事を書いた人
記者:ササン三(room6)
校正:fukushima(room6)
デザイン:高市(room6)
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